日記的雑記帳「カイエ」|2025.05.26-06.01

05.26(月)

・折に触れて、『「待つ」ということ(鷲田清一)』という本を思い出している。だが、届くはずの荷物を待つということは、拘束されているようで居心地が悪いのだ。

・同僚との会話が、業務の話か愚痴になってしまうのは、なんだかなぁと思うが、段々それ以外の会話が思い付かなくなってくる感じがある。

・誰かが「こういう考えっていいんじゃない?」みたいなものを提示すること自体が、豊かなことなんじゃないかと思った。

・対話というものが、最近は遠くにある気がする。身体が先にあることを認知するような環境であるからだろうか。だからこそ、いつか発掘されるためにも、書いていたいと思った。

05.27(火)

・承認欲求というものは、果たして欲求であるのかと思う。そこまで承認されたいものなのだろうか。というか、もっと微細な言葉がそこには当てはまるのではないかと、自分は思っているのだろう。人は共感によって他者から承認されたいのではなく、誰からも支持されなかったとき、自分の思考が世界に存在していないようで寂しいと人は思うのではないか。存在とは、その姿を認知されてしまっている時点で存在していることになると思うのだが、それが存在していないように扱われてしまうことに対して、辛いと思うという現象である気がする。

・環境とは不変的なものではなくて、手入れをして、作り上げられていくものなのだろうか。

・読書会には”不法侵入”が発生するものなのかもしれない。

05.28(水)

・変な夢を連続で見た気がする。なぜかM-1の予選のネタ動画しか見たことない芸人と一緒に、バルセロナでケーブルカーに乗っている夢は覚えている。確かにネタはおもしろかった覚えはあるが、特にその後追ったりしてないのに。どういう心理状態なんだろう。

・静かにふつふつとした対話というものがある。共感の積み重ねによる熱気でも、理解されない苦しみでも、退屈でもないもの。そこにいる人たちが、身を投じて話してみたことで、「それはこうなんじゃないか?」という解釈が生まれてくる。ただし、それはよくある会話での「それは間違っている」みたいな、その人自体が”思ってしまったこと”へ他者が介入して否定してくる現象ではない。確かに”思ってしまったこと”に対する敬意はありつつ、積み重ねがなされていくという実感があるものだ。

・自分は自身の感情を尊重しているが、その上でその事象を再編成すること、つまりは掘り起こしていくことを無意識に両立しようとしていたのかもしれない。

・凪のように落ち着いている人は、”凪きっている”と言うらしい。

05.29(木)

・ハードな経験から得た経験値にすがるのは、簡単に得られる成長感をジャンク的に摂取しようとしているようではないか。どんな事象であれ受け取れる感度があれば、ジャンクな成長感をハードな経験に求めなくても済む気がする。

・利害関係があると対話しにくい問題について考えている。確かに今の職場で対話しようとはならない。対話は弱さの開示であり、どうしても利害関係ではそれが不利に働くからなのか。いや、弱さの開示が対話ではない気がする。強さ弱さという見方からそもそも脱したいと思ったりする。確かに素直に好きなことを話すのは難しい場合もあるが、場の設計次第で、不利益になるような部分に触れないようにすれば、対話は成り立つのではないか。そうなると、やはり場の設計みたいな話なのだろうか。

・「SLAM DUNK」がついに電子化されるらしい。ようやくだ。電子書籍派としては嬉しすぎる。

05.30(金)

・家事は結構好きかもしれない。物理的、情報的問わず、物を整理していくのが好きなんだと思った。

・いよいよ家の心配が増えてきた。現状だと、借りたいような家はなさそうだ。エリアの範囲を広げるかどうするか。もう何年も「次の家どうしよう」と悩んでいるのがウケるし、深刻である。

・「税金で買った本(ずいの、系山冏)」の最新刊(15巻)を読んでいて、今自分が一時的に渦中にいるからか、組織というか、サービス業的な職場で働くってこういうことだよなぁと思った。まずは業務ではなく人間関係のやり取りがある。さらに、誰が何を担当するのか、担当業務が連鎖してフォローしたりされたりと影響が広がっていく。改めて、すごく高度なことをしていると思う。でも、こういう働き方って豊かなのだろうか。いっそ、違うものに全てを変えてしまいたいと想像したりしてみる。

・対話においては、応答がなされたときに、豊かな対話であったなと思える。お互いの世界線に乗っかって話す感じ。やり取りのように往来していくもの。話を深めていくというより、思ったことを素直に話してみて、それが受け取られていくプロセスが重要である気がした。

05.31(土)

・定期的に摂取が必要だった「ぶどうスカッシュ」が、近くの自販機から消えていた。ラインナップが変わることもあるのか。さよなら、もう二度と会うことはないでしょう。

・悪口って連鎖するよなぁと思う。

・好きな美術家の本のレビューを読んでみると、その人なりの感覚を”アーティストの感性”と評する人が多いことに気付いた。多くの人は「アーティスト」という肩書きがあるだけで、”普通”ではないとして受け取りやすくなるんだろうな。アートとは、それほど日常から遠いものなのだろうか。

・日記には具体と抽象の粒度がある。自分はあまり具体的にやったことや人物名を出さずに書く方がしっくりくる。その日にやったことや周りの人間関係を全て書いてしまう日記も周りを見るとある。でも、その粒度は固定的なものではなく、1人の日記の中で、その粒度の変化がある方がおもしろく思えそうだ。

06.01(日)

・改めて思ったのは、仕事とは簡単に必死になれてしまうからこそ、そうじゃない部分を見ることの重要性だ。撤退すること。確かに仕事を通して、自身の大事な部分は他者に跨がせたくない。だが、それは必死とは違うと思う。必死ではないことは、サボることとも違う。真摯に取り扱うけど、必死ではない感じだ。

・先月の支出をマネーフォワードで確認。徒歩圏内にスーパーがないからといって、コンビニで発散消費をしすぎた。問題は単なる発散のために食べ物を消費していることだ。今の場所はスーパーがないから自炊する選択肢はないから仕方ないのだけど、食費に予算を充てるなら、美味しいご飯を作るようにしたい。

・言葉を使うことの限界に触れた上で、言葉を紡ぐことに真摯であってほしいというのは、自分の根源的な想いであるのかもしれない。それに対して、愛しいと思えた。愛しいという感情は、あまり意識したことがなかったのだけど、そういう気持ちをこれからは探っていきたい。