日記的雑記帳「カイエ」|2025.06.30-07.06

06.30(月)

・余裕がない。やることが多い。どうなるかが不安だ。こうした気持ちを出さずに語る言葉は自己欺瞞のようで嫌だ。まずはこの辺りの気持ちを吐き出してみてこそ、「こうかもしれない」という新しい見方が立ち現れるものなのだ。

・その人なりのペースで共にいようとしてくれていることが嬉しい。

・乗っていた電車が人身事故で止まってしまい、本当に何もない田舎の駅で降ろされて途方に暮れていた。中学生が線路に落ちておそらく轢かれてしまったみたいだ。心がざわざわしてきたが、バスもタクシーもなく、駅の構内で、中学生たちの大量の鞄が乱雑に置かれた椅子にイヤホンをして座り続けるしかなかった。学生たちは意外と冷静なのだと思った。救助されたその学生が運ばれてくるとき、大きなブルーシートに囲われていて、警察官が「見ないようにしてください」と周囲に呼び掛けていた。それでもじっとそのブルーシートを見つめていたかった。だが、何の痕跡も発見できず、その中に誰がいるのかもわからない。見事なまでに全てが隠されていた。その子は逝ってしまったのだろうか。こうして死のようなものは隠されていくのだと思った。それでも、そのままの状態を見てしまったとき、自分は耐えられたのだろうかとも思った。作業に当たる人たちの表情を見てみる。彼らは何を思うのだろうか。慣れているのだろうか。この後にかなり大事な予定があり、電車が動いてくれないと困るのだが、それぞれの役割をこなしている人たちの邪魔はしたくなくて、ただ黙って座り続けた。しばらくすると、反対側のホームで電車が動くようになった。田舎の駅なのにホームが2つあって良かった。同時に、とにかく電車が早く動いてほしかった自分に対して、人の心配よりシステムを優先するのかと思った。だが、死と日常は天秤に掛けるものではないのではないかとも思う。俺は死を知らない。何も知らないのだ。知らないことに罪悪感を覚えるほどの傲慢さは持ち合わせていない。ただ、このことは書いておこうと思ったのだった。大事な予定にはギリギリなんとか間に合った。間に合わなかったら、もうどうしようもなかった。「間に合った」という”感覚”を頭の中で反芻し続けて、宿まで戻った。

07.01(火)

・引っ越しをする。といっても、空っぽの家にスーツケースとカバンを持って移動してくるだけだった。何もない家にいるって、ほんとに自宅警備員をしてる感覚がある。電力会社を選び、ガスの立ち会いをして、水道の開栓をするなんて、まるで家に住み始めるみたい。そうなのだけど。実感が湧かない。移動生活が終わり、定住生活が始まるのか。これから何を感じるんだろう。とりあえず、この家が静かで眠れるような環境なのだろうかと、しっかり不安を感じている初日だった。

・移動生活で色々な家に住んできて、「こうしたらいいのに」と思うことが多かったのだが、いざ暮らしてみると、何もかもが慌ただしく、あぁ家について何の知見も溜まっていないのだなぁと淡々と思った。

・待てるようになったなぁと思う。過去の引っ越しはきっちり計算をして、家具などを揃えてきた。それはそうしないと生活ができないと思っていたからだ。でも、大概の生活は何とかなるものだ。待つということをしているような。

07.02(水)

・家を固定化するって、まだ半信半疑だ。本当にここで暮らしていくのだろうか。とりあえず、めっちゃ静かで眠れそうで本当に良かった。

・マットレスが届くとクッションの柔らかさに感動し、机が届くと机の使いやすさに感動し、椅子が届くと椅子に座れることに感動した。すごい、生活できるって素晴らしい。

・ベルクのだし巻き卵が美味しすぎて、キッチン類の道具が揃ったら、美味しいだし巻きづくりを習得したいと思った。

07.03(木)

・生活ってブリコラージュだし、人間の知恵はすごい。色々と揃えていくと、こんなものまで開発してたんだという感動を日々覚える。

・YouTubeのホーム画面に、ORANGE RANGEの「イケナイ太陽」令和版PVが上がっており、「なんで今?」と思って観始めると、まさかのマユリカとのコラボで最高すぎた。こういうの見ると、エンタメを作るって楽しそうすぎると思った。でも、懐かしの平成とかより、マユリカってほんと売れているんだなぁと思った。ORANGE RANGEの曲はやっぱり良いなとも思うけど、マユリカすげぇ!って感じ。

07.04(金)

・あれからORANGE RANGEの曲ばかり聴いてしまう。マユリカのM-1のネタもまた見たい。

・コインランドリーの店内にて、おそらく誕生日パーティ用であるギラギラの風船で「HAPPY DAY」と書かれていた。「BIRTH」を抜いたんだろうね。歓迎してくれている感は伝わる。よくわからず適当に洗濯物を放り込んでいたら、掃除をしていたスタッフに「こっちの小さい方を使ったほうが安いですよ」と教えてもらった。良いところだ。

・海外行ってから運転してなかったので、およそ2年ぶりに車を運転した。これだけ乗らなかったのは18歳で免許取って以来なかったかもしれない。いざ運転してみると、当然身体が覚えていて何の問題もなかった。スタミナパンのポッドキャストを流しながら運転した。バイクの運転は好きだが、車に関しては殺伐とした運転をする人が多すぎて、それに釣られてイラつきやすいので、なるべく運転しない人生を歩みたいと思っていた。だけど、意識してみると、周りを放っておいてゆとりを持って運転できるようになっていて良かった。まあそれでもなるべく運転をしない人生がいい。バイクは素晴らしい。

07.05(土)

・確かに、家周りのやることだけできたら、上出来な日だと思う。だけど、生活は永遠に整わないのではないか。そういう日々でも、なんとか色々と同時並行でやっていきたいものだ。毎日少しでも手をつけることだろうか。ほんとにこれはなんとかしないと、生活に溺れてしまいそうだ。そのぐらい、本来は生活って凄まじく大変なことなのだと思うけど。

・「恵まれている」という表現に対する嫌悪感が凄かったのだけど、最近はそれが自分を救う言葉になるのならば、使って良いのかもしれないと思った。絶対に使いたくない言葉リストが多いので、それらを避けてどのように表現するかが楽しかったりするのだが、言葉をほぐしていくことも楽しいのだなと思った。

・食べ物を温められるようになった。買った食べ物を取っておくと、翌日に温かい状態で食べられることがこんなにも素晴らしいとは。電子レンジはすごいぞ。みんな使った方がいい。

07.06(日)

・早い時間に眠くなって、早い時間に目が覚めるようになってきた。静かな自分の家って素晴らしい。

・DIYでテーブルを作ってみようかと思い付くと、俄然楽しみになってきた。友人たちも早く招けるようにしたい。今まで家を開くなんてことがなかったから、どうなるか勝手がわからないのだけど、周りに良いお手本がたくさんいてくれるので、なんとかなるだろうと思えている。良い連鎖は続くものだと信じている。

・生活に溺れているという感覚。創造的なスイッチが錆びついているように思える。でも、それはそうかもしれない。自分が撮ったり書いたりするのは、自己治療的な側面がある。だから、目の前の生活をこなすこと自体で、自己治療が賄えてしまっている状態だ。気分の波とかではないのだろう。当面は食べ物を冷やしたり、洗濯ができたりすることを夢見て過ごすことになるから、神器が揃ってきたらまた変わっていくのだろうと思っている。