07.21(月)
・光に照らされること自体が、他者の存在を表すんだな。
・同じ場所にいながら、身の回りの変化を発見していきたい。定住したらそういうことをしたかったんだった。
・何かに対して苦手だと思うとして、「苦手」という言葉ではなく、「抵抗」みたいな表現の方がしっくりくるような気がする。それはつまり苦しさを覚えて抵抗するというサインである。苦手で片付けるのではなく、何かのサインがあると思っていたい。
・ダブルインパクトの決勝を見る。大会のことを全然わからず見てみたけど、めちゃくちゃおもしろかった。コントは設定がめちゃくちゃでおもしろいけど、漫才だと型に入りすぎてしまう組が多かった気がして、両方やるって難しいんだろうなと思った。だから、ニッポンの社長やロングコートダディ、セルライトスパは特に両方活かせている気がして、ずっと笑っていた。ほんとにお笑いはアートだと思うし、これだけハイコンテクストで入り乱れた奥の奥の面白さを味わえる日本のお笑いは凄すぎるし、芸人はほんとにカッコよくて尊敬する。

07.22(火)
・新幹線に乗って、ふうと自分の席に座ると、同じ駅から乗り込んできた前の座席の人が窓側から顔を出して何かを話し始めた。こちら側に何かを落としたのかなと思って、イヤホンを外して「え、なんでしょう?」と聞き返すと、「席を倒して良いでしょうか?」と言われた。「もちろんです」と返したが、今までそんなこと聞かれたこともないし、自分もわざわざ聞かないから、珍しい出来事だったし、丁寧な人だなぁと思った。昨日のダブルインパクトの決勝で、セルライトスパが高速バスで席を倒そうとするも後ろの席の人に断られ続けるという場面を含むコントをやっていたのを思い出して、「あっセルライトスパのやつじゃん!」といい気分になった。もしかして、その人もセルライトスパのネタを見てたりしたんだろうか。あのネタおもしろかったよね。
・久しぶりに実家へ行った。車窓から見える一面の田んぼの風景は、夏でしかなかった。ほんとにバカみたいに何もないところだ。ずっとここから出たいと思っていたが、こうして稀に行ってみると、全てが見慣れすぎていて、呆れるほど落ち着くものだった。この感覚を「故郷」と呼ぶのだろう。用事を済ませて、溜め込んでいた荷物を整理して、なんとか家に帰る電車がある頃には終わった。ふと、夜に電気も冷房も付けずに居心地の良くない緑のソファに座ってみると、ここには音があった。その音を静かに聞いていた。暑さが和らいだ夏の夜に、窓を全開にすると、風がひんやりと感じられて気持ちが良い。その風でカーテンが揺れて擦れる音、虫の声とたまに通る電車の音が聞こえる。それを聞いていると、癒されると確かに思う。同時に、俺はあまりにも空っぽであるのだと思った。悲しくなったわけではない。文化的なお店や施設はもちろん、飲食店すらない何の文化もないこの街で、これだけ落ち着いた気持ちになると、ここでは何も思い付かないあのときの自分が今もいると、ただ思ったのだ。その空虚さに抗うことはきっとできないのだろう。何もなかったら何も求める必要もなくなるのだ。だからやはり、自分はここにはいられないのだと思う。静かで穏やかな夏の夜の音を聞いて、すっきりとした気分でこれからもやってくぞと思いたい。だが、今はただ空っぽなのだ。空っぽである自分の輪郭をかろうじて感じられている、ということだけを静かに見つめていた。
・本を読みながら帰る。ふと、いつも流しているLo-fi hip hopや洋楽ではなく、J-Popの曲を聞いてみた。歌詞ではなくリズムで音楽を聴くことが多いが、今日はなんだか”声”が耳に入ってきた。声自体を観察しているような。声を読むという感覚が初めて芽生えたようだった。声には奥行きがあった。そんなこと知らなかった。気持ちよさすらあった。声は読めるのか。高揚感があり、とてもたのしい。発見はそれ自体に喜びがあるので素晴らしい。

07.23(水)
・存在を当たり前とすると、観察をしなくなる。
・乗っていた電車が緊急停車で止まって、少し待つことになった。こういうときのアナウンスは「申し訳ございません」と過剰に謝ることが多いと思うのだが、運転が再開されたとき、「お待ちしていただいて、ありがとうございました」と言っていた。ごめんじゃなくてありがとうのコミュニケーションで良いなぁ。もしかしたらそういうマニュアルになったのかもだけど、その人がアレンジしていたらめっちゃ良い言い方だと思った。
・観察。そうだ、観察だった。見てみて発見する。それだけで良かったんだ。
・他人事のように自分が思ったことを話すことで、相手ではなくその目先に置いておくことができて、結果的にお互いに「どうやら自分はこう思っているらしいね」といい感じな対話になるのかもしれない。
・ガキのことはガキだと思ったら、ガキだと言おう。

07.24(木)
・色んな場所に住んでみたからこそ、国籍問わずに今そこに住んでいる人の生活が保証されるようであってほしいなと思う。
・たとえば、そこそこの付き合いがあるとして、無性に神経に触る言葉や態度をする人がいたとして、何でも白黒はっきり付けることが良いわけではないのだと思い、付き合い方を考えていたりする。読めるものではないと思いつつ、思考のパターンや話のネタがある程度読めてしまうと、「もうその話いいって」と先回りして耳を閉じたくなる。予測できる話をされると、自分はなぜ嫌なのだろうか。きっと発見のあるやり取りを好んでいるのではないか。そうなると、それを相手に求めるよりも、発見を観察できる余白を日頃からどのように持っておくかによって左右されると思っていた方がいいのかもしれない。
・今の自分はリハビリをしているんだなぁと思った。対話やクリエイティビティも。

07.25(金)
・目の前にある世界を見ている自分と、それを見ている視線の両方があるみたいなことか。
・数年ぶりのそうめんは、アレンジなしでめんつゆに浸けるだけで美味しかった。
・ギャラリーで展示や作品集を見る。お店の人が話し掛けてくれたのだが、聞いた側に「それはそうだろう」という答え方をしてしまい、自分はとりあえず会話のようなものを形成しようと言葉だけ出し続ける試みをすると、そういう空虚なやり取りをしてしまうことがたまにある。後からじわじわと恥ずかしかった。同時に、作品を印刷して飾る、という流れにあまりにも無知であるのだと知った。それについては恥ずかしさとかはなく、あぁ何も知らないなぁと素直に思った。作家がそこを担わなくてもいい場合もあるとは思うが、せっかく飾る場所があるのだし、少しずつ研究してみたい。

07.26(土)
・大切なものは大切であると、毎回念入りに言葉にしようと思った。
・家でゆっくりしていると、開けた窓から入ってくる風も気持ちが良いし、豊かだなぁと思ったが、この暑さで長くは持たず、エアコンの効いた部屋にすぐに退散した。
・周りがどうであれ、自分は助けられる時に助けるし、途中でできなくなったら、できなくなったごめんと言えるようでありたい。フェアでいたいなと思う。
・自分は移動生活をしていることで、ずっと社会の外れにいたのかもしれないな。

07.27(日)
・なげやりな希望。期待とはまた違った態度というものが存在しているのではないか。
・「ぼけと利他(伊藤亜紗、村瀬孝生)」を読んでみて、対話において複数の”マジ”が並行して存在していると良いのかもしれないと思った。
・近かった存在が遠いものになっていく。そういうのもありだとも思うが、自分は対象と関わり続ける方がやめないでいられるんだろうな。少し休憩して、また再開するというパターンはあまりない気がする。遠さについても少しずつ考えられたらいいな。

