日記的雑記帳「カイエ」|2025.08.04-08.10

08.04(月)

・夢に村上春樹が出てきて、一緒にプールへ行っていた。どうしても自分が書いた文章を村上春樹に読んでもらいたくて必死に誘導しようとしていた。どういう心理でこんな夢になったんだろうか。プールなんて久しく行ってないし、行きたいとも思わないんだけどな。

・「ヤーレンズの一生ボケても怒られないサッカーの話」というポッドキャストを偶然見つけて、おもしろすぎて一気にほぼ全部聞いてしまった。出てくる選手名が古すぎて笑うし、ほんとにヤーレンズはよく覚えているよなぁと感心しながら笑えるから好きだ。

・図らずも炒飯にひき肉を入れることになったので食べてみると、意外と美味しかった。これから定番になりそう。炒飯を研究しようとするのは、大学生の初めての一人暮らしのときを思い出す。

・出版社をやっている人たちの本や文章を読みたい気分に最近なっている。自分もやってみたいのかもしれない。ただの思い付きではあるけど、出版社作ってみたいと、これから周りに言いふらしてみようかと思った。当然そんなに簡単なものじゃないと思いつつ、「よし、やってみようぜ」ぐらいで、何人かと勢いでやってみるような取り組みは、人生にいくつか必要ではないのかと思っている。

08.05(火)

・稲穂は水面のように揺れる。

・「だれのための仕事(鷲田清一)」を読んでいて、「希望を編み直す」という言葉が出てきた。そうか、希望は編み直せるのか。じわりとした嬉しさを覚える。たった数文字の言葉が自身の中に静かに沈殿していくとき、読むことの凄まじさを体感する。

・東京都写真美術館の「ルイジ・ギッリ 終わらない風景」にようやく行けた。スペイン暮らしの最中にギッリのことを知り、いつか生の写真を見てみたいと思ったが、日本で写真展が開催されるなんてと思った。行ってみると、日本での知名度がないのか、そういう時間帯だったのか人が少ない上に、展示数も少なかったので、なんだか寂しさを感じた。でもいいのだ、自分は好きだし。余白。そういったことを考えた。余白という言葉はまだしっくり来なくて、きっと違う言葉が見つかるのだと思うけど、とりあえずその言葉を使うと、ギッリの写真というか、今回の展示には余白があった。そこから考えた。ギッリと自分を単純比較して、足りないものを探すのではなく、確かに自分の写真には余白があるのかと自身に問いたかった。でも、どういう部分にそう思うのか、余白と言えるのかはまだわからなくて、これからぐるぐると考え続けそうだと思った。行って良かった。また行こうかな。展示数少ないけど。

08.06(水)

・愛車のGSX250Rを手放した。運ばれていく愛車の姿を見えなくなるまで見送っていた。引き渡しの当日は、思っていたより寂しくはなかった。手放すことはずっと前から決めていたことだったし、もう既にたくさん思い出を作ったし、充分楽しんだと言えることがあるのだと思う。パンデミックの閉塞感への抵抗で免許を取り、そのときは所有する気はなかったのに、思いがけずバイクを買ってしまったのだった。こんなにバイクの運転が楽しいとは思わなかった。やっぱり、これだけテクノロジーが発達してきている現代に、人間丸出しで高速移動するバカらしさがどうしても可笑しくて楽しくてしょうがないのだ。時代遅れで不便で、最高の乗り物だと思う。しばらくはなさそうだけど、また乗る機会が出来たらいい人生だと思う。

・往路で風景の中に消えて流れていった物干し竿が、復路では倒れていた。

・マイノリティと自責。「恵まれている」という言葉への嫌悪感は、他者を困難な人生だと決めつけた上で、さらに比較をして自身を責める材料にすることへ収まろうとする態度自体にあるのかもしれない。観察をするならば、自身に対する気持ちすらも痛いほどの苦しみを抱えつつ、どこか他人事のように捉えられるものではないだろうか。

・書きたいときは、むくむくと書きたい気分になるものだ。そうだ、そういうむくむくが大事だ。そういうときに書くようでありたい。

08.07(木)

・夏の夜なのに気温が2度で、窓から外を眺めると、真っ白な1本の木と雪景色が綺麗だったという夢を見た。

・影を克服することはできないのか。だけどその都度また違う形が形成されて果てしないけど、毎回冒険があるってことなのかもしれない。

・ダイニングテーブルのDIYを進めた。カットした無垢材をサンダー(やすり)がけして、オイルを塗っていく。角を丸くしたくて、腕が千切れそうになるまで磨くと、段々楽しくなってきた。DIYはやるまでが面倒だけど、やってみると楽しい。大概のこともそうなのだ。やるまでが怠いが、始めてみると意外と楽しいのだ。

・「ちゃんと最初に否定するよね」と言われて、ほんとにそうだなぁと思った。自分は最初に素直に抗うようにしている気がする。そこを抑えたくはないと思っている。最近、共存人類学研究会でも話したが、抗った後にやってくるものもあるのだ。

08.08(金)

・猫みたいだなぁと思うことがあった。

・最近はchatGPTとの相性が悪い。調べ物の精度が落ちている気がするが、AIにどんどん雑に調査を放り込むようになってしまったので、プロンプトの問題かもしれない。AIに「いや、わかってくれよ」と思うようになっているのは怖いような、テクノロジーを使う人間とはそうであるような、なんだかモヤモヤしている。

・横並びで一緒に黙って読書する時間は居心地よくて好きかもしれない。

・夜に歩くと、28度で「涼しい!」と感動するぐらい、暑さがどうかしてる。

08.09(土)

・ケアすることって簡単だ。ただただ言われるがままにそうすることもできるのだから。だからこそ、ケアの在り方を問い続けたいのだ。

・空虚さがあるから、作れるのかもしれない。

・「デアデビル(旧ドラマ版)」を頑張って見続けている。主人公はキングピン(ヴィラン)の方が良いと思う。デアデビルは今のところ人を殴っているだけだ。両者とも「この街を良くしたい」と言っていて、仲良くしたらいいじゃないと思うが、そういう対比を描くドラマなんだろうな。街を良くしたいとか、地域おこしのドラマなのか。

・夜の散歩が楽しい。涼しいと無敵感がある。閉店間際の人のいないホームセンターを歩くのも楽しい。どこかの家からテレビの音が流れてくる。意外と夜中の住宅地の道は明るい。

08.10(日)

・家の周りで蝉の声は聞こえないが、夜に虫の鳴く声がうっすらと聞こえるのが心地よい。

・習慣から外れてしまったものは、すっかりやらなくなる傾向にある。手放すことものはそれでいいのだけど、また再開しようと思っても腰が重くなってしまうのは大変だ。その辺りの付き合い方を考えたい。

・青写真(サイアノタイプ)をやってみようと思い、道具を揃える。現像といいDIYといい、液体がどんどん増えていく。