08.11(月)
・議論や問いは後出しだったりする。身を投じて語る人がいてこそ、そこから言葉が生まれ出てくる。だからこそ、その”身を投じること自体”をリスペクトできたらいいなと思った。
・壊すことは簡単だ。でも創ることはその何倍もの時間が掛かる。ほんとにそうだ。だからこそ、壊すことで改革したときの快感に浸るのではなく、地道でわかりにくくても、何かを作ろうとしている人たちといたいし、自分もそうでありたい。
・応援すること。自分はどこかで、「周りの活動を応援する方が良いことである」と思い込んでいたように思う。周囲の環境からの影響もあったのだろう。ほんとに「いいな」と思ったことには、熱を込めて応援できる。でもどんなに接する機会が多くとも、感覚として「いいな」と思えなかったら、その人の活動を素直に応援できなかった。その上で応援することというのは、嫌な言い方をすると”メリット”が明確にあって、「あぁ、これはきっと応援しといた方がどう考えても後々良いことがある」と思えるときがあって、そのこと自体に嫌気が差していた。だから、「活動を応援する方が良いに決まっているよなぁ」と思っていること自体を改めて問い直してみる。そうなのだろうかと。人付き合いには幅がある。応援するか否かで分岐するような未来は、そこまでないのかもしれない。熱を込めて「めっちゃいいじゃん」と思えるぐらいで構えておこうかなと当分は思ってみよう。
・友人たちに手伝ってもらって、ようやくダイニングテーブルが完成した。急にリビングが部屋として引き締まった感じがある。いい感じの椅子を早めに導入したい。飲酒料理って、遊びとして大変たのしい。

08.12(火)
・「発信」ではなく、「載せる」みたいな距離感がいいかも。
・思いがけず、落ち着きはらって現れるものを待っていたい。
・オンラインで読書会をする。画面で何か「ん?」と思って見てみると、参加者全員が見事に黒Tを着ていて、なんだかおもしろかった。頭を使った会だった。自分は何かを一緒に作ることが、人と共に在る道だと思っているのだなと気付いた。
・「共に在る」ということは、人と一緒にいることを指すのではなく、在り方、佇み方と言っていいのではないか。孤独は一人でいるとかではなく、誰しもが抱えているものであって、それと共に生きていたいと自分は思う。たとえば、静かにそこに佇んでいる文章を読んでいるとき、孤独であることを愛せるのだ。

08.13(水)
・寝起きで、鷲田清一さんのインタビュー記事を読んだ。応答か。「応答、しつづけよ。(ティム・インゴルド)」を思い出す。
・DIYで不要になったブルーシートを捨てようと思ったら、「え、もったいないよ!!」と言われたのが、なんだかおもしろかった。そうか、そういう視点もあるのかと発見だったのだ。
・いいなと思う文章を書く人と、どうしようもなく文体に惹かれる人というのは、自分の中で違うようだ。文体に惹かれる人は、自身の中に深く潜っている人だ。批評、そういう当たり前を問う態度は総じて好きなのだが、それだけではなく、鋭さがありながらも人を刺そうとする攻撃性はなく、あくまでも自身に聞くように書いている文体。攻撃性が伴うものは批評ではない。鋭さだけでは感嘆はしても、美しさはない。静けさはない。自身がどう思うかを真に書いている人が好きなのだ。
・信仰心が欠如している自分にとって唯一のバイブル、「違国日記(ヤマシタトモコ)」をまた読み返している。蒸し野菜作ってみようかと思った。

08.14(木)
・出発まで時間がある始発の電車で、なぜか人が度々駆け足で車両に乗ってきた。他の車両で何かあったのだろうか。それでもイヤホンの音楽は止めず、買ってきた日記本を読んでいた。
・車内に黄色い紙の切符が落ちていると思って見てみると、ポストイットで誰かのフルネームと電話番号が書かれていた。
・電車に乗っていて、なんでこんなにも座席の幅がギチギチなのかと思う。飛行機もそうだ。なんでエコノミーはあんなにアホみたいに狭く作るのか。世の中の公共交通機関の座席がもう少しゆったりめだったら、世界はもっと優しくなる気がする。電車と飛行機を最初に設計した奴は、アホちゃうかと腹立たしくなった。ほんとになんでだろう。ちょっと大きく作れば良かったじゃんか。ケチなんか。発明した偉大さより、初期設定ミスったことへの怨念の方が大きくなってしまう、すまんけど。今日は電車の話が多い。
・見分ける。識別する。耕している人に会うことってあるなぁと思うし、そういうときはただただ嬉しくなる。

08.15(金)
・机の上に放り出した写真集が、意図せず絶妙なバランスで乗っかっていたのでテンションが上がる。
・こうして書き続けているカイエ(日記)とは、編集行為であると気付いた。ひたすら毎日言葉を編んでいる。
・小林さんがやっている肉屋、多くないか。
・友人が大量に置いていった野菜で、夏野菜カレーを作った。トマト缶を入れたのが大正解だった。びっくりするぐらい美味しかった。こういうとき、「もうカレー屋は行かなくていいな」とつい調子に乗ってしまう。野菜もたくさん摂れるし、夏は夏野菜カレー、冬は鍋の布陣が盤石かもしれない。

08.16(土)
・「違国日記」を打ち間違えて、「ICOCA日記」と関西風になってしまった。
・偏見ってどうしてもおもしろいときがあるから困ったものだ。
・また夏野菜カレーを作って、研究を進める。どうやら野菜は素揚げ、もしくは別で油多めで炒めてからカレーに入れた方が美味しいらしい。玉ねぎとナスはマストで入れよう。ひき肉は合挽肉が最も旨みがあるが、定期的に食べるなら鶏ひき肉の淡白な味と栄養価がちょうど良いかもしれない。

08.17(日)
・今シーズンのFCバルセロナ開幕戦。時差のせいで、午前2時30分からと微妙すぎる時間で眠すぎたが、鮮やかゴールラッシュで目が覚めた。相手のマジョルカが2人退場してしまったが、審判は明らかに試合を裁けてなくて、後味が悪かった。AIテクノロジーが進化を続ける中、人間の審判は判断ミスを軽やかに認めることが必要になるのではと思った。審判なんて責められやすくて大変な職種だと思うが、素晴らしい判断をする審判もたくさんいるわけで、ミスを認めてやり直すことをもっとみんなで許容できるようになっていけたらいいよねと思う。
・置き配指定なのに、たまに配達員にピンポンされるのだが、今日も扉を開けると、大きな麦わら帽子を被ったおじちゃんが立っており、配達物を受け取ると、その後ろの道にも麦わら帽子が転がっており、自転車に乗っていた高校生ぐらいのボーイが落としたらしく拾おうとせかせかしていた。そのダブル麦わら帽子の情景がなぜか頭から離れない。
・人と比べることについて思い直す。あまり比べなくなってきたなぁというのはそうなのだが、無意識にそういう苦しみを引き受けていたことは、まだまだあると思った。新しい環境に来たし、人との繋がりが少ないなぁと思っていたけど、来客があったり、オンラインで通話したり、やり取りをする人たちはたくさんいて、そういう大事な数人を大事にしようと改めて思えた。何を他者を勝手に満たされている人と祭り上げているのだ、周りにいる人をしかと見届けよと肝に銘じた。
