08.25(月)
・空間を撮っているのではなく、明確な対象を撮っているから、自分の写真には余白がないように思えるのだろうか。全体を撮ってみると、余白になるんだろうか。
・今年は「商売」というものを改めて知っていく時期だなぁと思っている。
・なんだか不安定な日だった。落ち込むっていうか、手立てがないから困っている。

08.26(火)
・朝の1時間があっという間に過ぎるんだけど。
・穏やかなときは、静かな文章を読んでいたい。さみしいときは、さみしい文章を読みたいかもしれない。そういうものが癒しになるときがある。
・存在しているのに、なかったことにされている気持ちが、自分にとってのマイノリティなのかもしれないね。
・言葉を尽くす。写真もそうかもしれない。そのとき納得するまで言葉を尽くすことだ。

08.27(水)
・休養。休んでも治らないのならば、休む必要性がよくわからなくなってくる。日々の活動を主に捉えているから、休むことでそれらに備えるという思考を変えた方がいいのだろうか。多分、休養と向き合うならば、活動に対する休養ではなく、休養自体を目的とするみたいな状態が良いのかもしれない。
・やってきたことが伝わるには時間がかかる。そうか、そうだよなぁ。なんだか悲しくなりそうだったので、以前から考えていた写真のTシャツやトートバッグを作ってみることに決めた。
・ほんとに場所の神秘性みたいなものが全くわからない。何も感じなくて、途方に暮れている。良くも悪くも、場所に対して一定の距離がある気がする。好きな場所も、なんだか気に食わない場所もそれなりにあるが、早急に決めることはなくて、複雑なものを複雑なままに捉えている。だからこそ、誰かが語る場所に対する神聖な想いを聞いていると、なんだか冷めたような気持ちになってしまうのは、この共感のできなさを抱えているさみしさからなのかもしれない。
・たとえ返しがなくとも、「いいじゃん、やってみなよ」と言う人でいようと思った。はぁって感じだけど。

08.28(木)
・「今なんじ?」「君がだいじ〜」と、すれ違った小学生が言っていた気がする。
・「どうしてZINEを作ろうと思ったの?」と聞かれた。自分にとっては、いつの間にか当然のことになっていたので、改めて考えてみようと思った。最近も、友人たちから「ZINEや日記本を買う発想がそもそもなかった」と言われて気付いたけど、自分もまた、徐々にZINEの文化と同化していったのだ。そこには明確な流れがあった気がする。まず、たまたま「彼岸の図書館(青木真兵、青木海青子)」を読んで、青木さんたちの「人文系私設図書館 Lucha Libro」という活動が気になった。彼らが「山學ノオト」という日記本を出していることを知り、読んでみた。おそらく日記本を読むのは初めてだった。淡々と断片的な生活と言葉が綴られていて、「こういう文章を読むのもおもしろいなぁ」と思った。そこから数ヶ月後、下北沢の「日記屋 月日」が日記本のZINEイベント「日記祭」を開催していると知った。知り合いも出店していたので行ってみると、いろいろな人たちがそれぞれの形で日記を書き、本にしていた。知り合いにも会えたし、イベント自体も楽しめた。なにより、そうやって人々が活動していることを知れたことが、なんだかとても嬉しかった。「日記」という存在は自分からは遠いと思っていたが、個人事業主になってからは、毎日「日報」という形でNotionに振り返りのメモを書き溜めていた。最初は業務改善が目的だったが、だんだんと思いついたことを大量に箇条書きで書くようになった。ならば、それを「日記」という形式で出せばいい、と気付いた。素材はすでにあった。だから、あとは編むだけだったのだ。そうして「カイエ」と名付けて公開し、続けてきた。ZINEや日記本も自然と読むようになった。本来は電子書籍で本を読みたい。だけど、「この人の文章が読みたい」と思ったとき、その形式がたまたまZINEや日記本だった、というだけだ。文化は自身と混ざり合い、いつの間にか同化していた。だからこそ、当然になっていた。振り返ると、最初から完成した形があるのではなく、徐々に混ざり合い、構築されていくもの、それが文化との共存なのだと思った。
・目が重たいけど、眠りたくない。身体は睡眠へ向かっているが、頭は抵抗している感覚がある。おそらく、頭の方は未来の不安から現在の時間をできるだけ伸ばそうとしている。

08.29(金)
・最低気温が20台前半で、早朝に窓を開けると風が涼しかった。
・使わなくなったクレカを軒並み解約していく作業。クレカだけじゃなくてWebサービス系全般に言えるが、解約の項目がサイトの奥の方に閉まってある嫌がらせは、最初に誰が発明したのだろう。サイト上で解約を進めていくと、「次へ」が灰色の薄い文字で「キャンセル」が緑色に光っているサイトもあって、何が彼らをそこまで駆り立てるのか。商売続けるのは大変だけどさ。電話しなければ解約できなかったり、電話した上で書類が届いてそれに記入しないと解約できなかったりして、精神を消耗したが、なんとかやり遂げた。
・居心地の悪さ。焦りとさみしさ。技術や感性の扱い方。はたらくことと天職。持て余しているものを発揮できる場所を見つけたいと思ってしまうのだ。

08.30(土)
・儀礼的無関心を発動しているなぁと思い、本に没頭する。肩の力を抜く。息を吐く。手を動かすが良い。
・受け取る態勢が整うということ。口ごもる中で、言葉を尽くしていく。
・夜に「デアデビル(旧ドラマ版)」を見続ける日々。シーズン3まで辿り着いた。主人公のデアデビルはずっと好きになれないが、他の登場人物が魅力的で楽しめている。いっそのことデアデビルが出てくるパートを飛ばそうか。今日はあまりに見続けてしまい、寝ようと思っても、頭の中でドラマのシーンがぐるぐると浮かんできて、落ち着かなかった。ドラマは1度に1~2話ぐらいにしておいた方が良さそう。

08.31(日)
・やる気が出ないと思ったが、こういうとき、やる気の問題なのだろうかと思う。問い方の方向性を変えた方がいい気がする。他の人のインスタを見ると、原稿や撮影やら仕事を頑張っていて、むくむくと少しずつ「何かやりたい」と思えた。環境は大きいのかもしれない。比較して落ち込むのは苦しい。だから、受け取るだけというか、その中で生まれてきたものだけを見つめるって感じが良さそうだ。”むくむく”を呼び起こすことに集中したい。その”むくむく”自体を楽しんでしまいたい。
・豚の生姜焼き、ツナとピーマンの炊き込みご飯、餃子の皮タコスなどを作りたい。
・人間は自分の身体ですら思い通りに動かせない。自身の重さすら抱えられない人間は、自身を支えるためには、誰かに寄りかかる、誰かを使う必要があるのではないか。「人を使う」というのは嫌な言い方だと思ってきたが、ぞんざいに扱うのではなく、身体が自立できるという思い込みを手放した先にある、人との在り方を示す道になる。鬱々とした気持ちは、そういう重さをどうにか支えたい、という希望から生まれるものなのかもしれない。それが希望であるならば捨て去るのではなく、抱えながらも、ときに軽やかに支えてもらったらいいのではないか。
