日記的雑記帳「カイエ」|2025.12.22-12.28

12.22(月)

・冬至。かぼちゃを買ってきて煮物として食べた。大量にもらったゆずを湯船に浮かべて、ゆず湯にした。ぽかぽかといい気分だった。冬至じゃなくても、ゆず湯は今後もやろうかな。

・近年、特に生活を楽しんできたつもりだったけど、「冬至」という季節を意識したり、わざわざかぼちゃを食べてみようと思ったり、ゆず湯まで入ってみるとか、今までは思いもしなかったと思う。以前の自分は、そんなものどうでもいいと思っていた。自分に対して、豊かであることを許せてきているのかもしれない。それは良かった。ほんとうに良かった。

12.23(火)

・新しい植物を迎える。冬で室温が低いと弱る植物もいるようで、生きものと暮らしているのだと感じる。いつもの野良猫が大量にいる道を通って帰っていると、猫ってどうやって冬の寒さを凌いでいるのだろうと思う。人の家の猫を見ていると、ヒーターの前に居座ったり、暖かいものが好きそうだ。だとしたら外でどうやって耐えるのだろうと、不思議だ。

・助け合って生きているのだなぁと実感して、ありがとうと思えた。

・普段お笑いを見ないというのに、渡辺直美とハライチ岩井がドリームマッチでやった「醤油の魔人、塩の魔人」というネタが好きだと聞いて、初めて知ったけど、「それ好きなのコアすぎるだろ」と笑った。

12.24(水)

・今まで当然そこにあったものが、急遽なくなってしまう出来事があった。喪失を前に、驚きとさみしさはあったが、同時に今まであったことへの感謝と、これからを楽しみに祈る気持ちが自然と出てきた。綺麗事では全くなく、ある意味でその固さを今まで知ってきたからこそ、諦めではないが、そういった区切りを受け入れる、歓待するような気持ちが出てきたのではないかと思った。さみしいが、何かを喪失することは、発見が詰まっているんだなぁ。昨日、醤油の魔人でゲラゲラ笑っていたのにね。

・小麦粉を混ぜることでしか得られない、癒しがある。

・ローストチキンとシャンメリーを食べた。明日の方が良かったのかもしれないと思ったが、楽しかったので良いか。

12.25(木)

・今年読んだ本を振り返っていると、ここ数年は変わらず同じようなジャンルの本ばかり読んでいるから、もっと幅広く読みたいと最初は思った。とはいえ、まぁ目の前に転がってきた本をひたすらありがたく読んでいこうとも思い始めた。むしろ、とことん読みたい本を読みまくりたいとも観念できた気がしている。来年はどんな本を読むのだろう。

・本に関わる動線を作りたいのかもしれない。本の文化を作りたいというか、「動線を作る活動」をしてみたい気がしている。

・批評として、対象に本来備わっていた役割を抽出して、異なる形で出力しようとする試みはしていたいものだ。

・対話をしていて、話していて自分でも「そう思っていたのか」と思う瞬間がある。相手の言葉によって、自分の言葉が掬い上げられて、それを共に観測するような瞬間。

12.26(金)

・今年は観念した年なのかもな。だからこそ、色々な自分と共にいられるようになってきた。

・以前、とある人に「あなたは最初にちゃんと拒絶するよね」と苦笑まじりに言われたときがあって、本当にそうだと納得しているのだけど、最初の反応として「拒絶」を念入りに抽出したからこそ、それらが埋葬されていき、いつかの自分が掘り起こせるようになるのだと思った。

12.27(土)

・物事の良し悪しではなく、何か起こったときに、淡々と再調整を重ねていくこと。それに尽きるなぁと、久しぶりに「怒」が出てきて、その気持ちを観察した後に思った。感情が動いている。生きものとして生きているなぁと思った。

・西日が差しているマンションを見上げた。西日の強い部屋は疎まれたりするが、自分は好きだなぁと思う。光のやわらかさの配分が好きなのだろう。淡々とやるには、庭を整えるような、場を整える習慣が必要になってくるのではないかと思う。

12.28(日)

・自分にとっての幹は探求だ。土台である土には、撮る、書く、読む、対話が埋まっている。その先の枝が、それぞれのプロジェクトや関心といったところだろうか。

・写真に対して、「世界にあなただけしかいないような撮り方に見える」「静かな感じはあるが、だからといってさみしそうではない」というフィードバックをもらった。確かに、言われてみると、そういう撮り方になっている気がする。おもしろい視点だと思ったから、もう少しその言葉について考えてみたい。

・落胆が歩く姿勢に表れることもあるんだと思った。

・風呂にキャンドルライトを導入した。いい感じだったが、気分はあまり優れない。生きることには波があるなぁと改めて思う。