日記的雑記帳「カイエ」|2026.01.05-01.11

01.05(月)

・とても疲れた気がする。とはいえ、「疲れた」という状態は社会的なものとして、誰かが「疲れた」と言っていたものを踏襲して片付けようとしているようなこと、よくよく分解してみると、どういう状態なのか自分でもあまりわかっていないのではと思っている。自分と物事が張り付きすぎて、たくさんの事象にさらされ、脆弱性のあるかたちで自分の輪郭を捉えている状態と言えるのかもしれない。そうなると、それは疲れというよりは、現象として一時的にそう見えるわけで、普遍的な「疲れ」があるわけではないのだろうと思った。

・いい文章を読んだ。そういった文章は、息を深く吸って、長く吐くような気分にさせてくれる。

01.06(火)

・頭が駆動しない感じがある。創造的な気分になれなくて、途方に暮れている。

・自分にとって当然であっても、他者がそうとは限らないということを本当にわかっていない人って全然いるのだなぁと観察していて思った。

・感情が大忙しであった。

01.07(水)

・引き続き、しんどさがある。全く何も思いつかない自分に悲しくなる。忙しさ、疲労、そういった言葉を自分の手で解体して考えていきたいのだけど、そこに気持ちが追いつかない。

・「研究者のような視点を携えている人が生きていくには」という問いが生まれた。

・自分は「悪循環」のようなものを観測すると、耐えがたいと感じることが多い。「良し」の反対として「悪し」だからというよりは、「建設的」という目線への信頼度が高いから、何か手を加えたくなるということなんだろうか。

・友人とはどういう状態なのかわからなくなっている。

01.08(木)

・わりと嬉しそうな人を見ると、こちらも嬉しい。

・思えば、よくこういうところまで来たもんだ。

・扇風機の「強」みたいな風。帰ってきて、暖房をつけていない家の中が暖かく感じた。

・「まみれていく、ゲド戦記」から、「どう生きるんだ、ゲド戦記」になり、「振り回される、ゲド戦記」まで来た。

01.09(金)

・人文的であることと、商売的であることの共存が、今年の抱負かもしれない。共存とはハイブリッドを目指す行為だけではなくて、駆動し続けることなんだと思う。たとえば、人文的な状態は商売的な状態ではない、という前提がまずある。だが、その中に商売的であったときの余韻が留まっているからこそ、人文的な発見が駆動するように立ち現れてくる、ということなんだろう。

・しがらみがあるからといって、自身の言葉すら決められないと思い込むことは怖いことだし、そう思わなくても済む場所が必要なんだろうか。

・サバ大根の出汁を甘めにしてみたら、意外と合っていて美味しかった。最近はサバを美味しく食べたいと思っている。

01.10(土)

・ずいの、系山冏『税金で買った本』を読み直した。相変わらずおもしろい。図書館の機能、書店との共存について考えた。図書館のお仕事漫画というか、組織のカオスさをよく表しているよなぁと思う。図書館以外でもそうだが、いくらシステムが発達したとしても、物を作る、作ることを指示する、手続きする、発送するなどは今のところ人力で行っているわけで、そういう人たちがいることを安易に忘れたくないと思い直せた気がする。

・ポッドキャスト『共存人類学研究会』を続けてきて、「共存」を掲げて活動していると、じわじわとその言葉が自分に効いてきている気がする。ずっとそういう意識があるわけではないのだが、ふとしたときに「共存するには」という問いが挟まるし、掲げながらもハイブリッドを目指すことを手放してみたら、発見が生まれてきたりする。

01.11(日)

・寝起きがしんどすぎる。習慣を変えてみようと思う。

・強風すぎて台風来てるのかと思った。いろんなものが道に散乱していた。

・生成AIでリサーチする際は、公的機関や公式など信頼性の高い情報源を優先する設定をしていたが、それだけだと堂々巡りを始めるときがあるようだった。ファクトチェックや情報源が信頼に値するかの判断は必要だが、固有の体験から導ける筋道もある。そう考えると、そのあたりはある程度緩めて設定した方が、生成AIが働きやすいのかもしれない。

・タスク管理も習慣も、見直しというか、点検という過程が入ることが意外と重要だったりする。例外やミスは起こりうるわけで、完璧さにすがるよりも、それありきで作っていく方がうまく回っていくのだと思った。

・自分は翻訳をしているなと思った。誰かの言葉がやってきたとき、自分の腑に落ちる言葉として翻訳するようなところがある。そうやって、自身の言葉を取り戻している。おそらく、過去の自分は他者に言葉を奪われてきたというか、言葉以前のものを発酵させようとしているところに、勝手に蓋を開けられるような感覚を抱え続けてきた。だから今でも、そういう行為には強い抵抗感があるのだろう。だからこそ、自身の言葉で翻訳し直す過程が重要なのだと思った。