11.10(月)
・後悔と否定は違うのではないか。たくさんの後悔はあれど、そのときの自分を否定しないで共に生きることは可能なんじゃないか。終わりだと思っても、どうしようもなく美しく感じることってあると思うのだ。
・いろいろ書いておいて良かったと思えることがあった。

11.11(火)
・少しぼんやりしているとき、人に話しかけられて言葉が出てこず、「どどどど」のように音の繰り返しをしてしまい、吃音のような状態になった。自分でもそう発音する自分にとても驚いた。なんだか、脳と口に差があり、脳は「これだ」と最低限の言葉の指示をしているのに、口がその後を自ら補おうとして、結果的に意味をなさないような音が出てきたような感じ。吃音を持つ方が書いた本をいくつか読み、「吃音」という状態を知ったのは最近だった。ここ数年で、文章を書くことが自らの一部となり、対話する機会が増えてきて、以前よりも言葉がなめらかに出てこなくなった。だが、真摯に言葉を取り扱おうと思ったら、そうなるよなぁと腑に落ちていたし、むしろその状態を歓待する気持ちがあった。とはいえ、今回のように言葉の詰まりではなく音の繰り返しは、まずとても恥ずかしく思えるもので、目の前の人が笑うことはなく、穏やかに何事もなかったかのように接してくれたからまだ良かったが、笑われていたら大層な傷になっていたと思う。初めてのことだし、仕方がないよなぁとも思う。発見の多い出来事だった。
・落ち込む、という感覚のない人もいるらしい。
・ポッドキャスト『マユリカのうなげろりん!!』を勧めてしまった。こんなにおもしろいのに、こんなに勧めにくいものもない。でも、ほんとうに毎週の楽しみだ。

11.12(水)
・トリオでM-1の予選に出場し、キャベツの被り物をして『ゲド戦記』のゲドとして登場するネタをやる予定だったが、本番でネタがすべて飛び、大失敗して終わるという夢を見た。キャベツはどこから来たんだ。悪夢で気分が最悪だった。
・クリスマスソングのプレイリストを存分に流そう。
・文章は、聞くのではなく、読んでいたい。活字のあいだの空白をぼんやりと眺めている感覚を、「文体」だと自分は捉えているのだと思う。そこに時折、言葉としての意味合いがどしりと乗るときがある。たいていはぼんやりと読んでいるのだが、美しいと感じる文章には、空白をみつめられる度量を持ちながらも、言葉としての役割の重みを担おうとしているように思える。
・言葉は身を投じる人がいて、それを受け取る人からいるからこそ、美しいものへと変わっていくのだろう。

11.13(木)
・時間がないと思うと、ご飯もまずく思えてしまう。味覚は気分に左右される。
・悪口。口が軽い。やってみたいことを否定する。ほんとにこれらは見事なほど容易に信頼をなくす上に、何よりも自身に対して失望をする行為だと思う。どんどん人生がつまらないものになる。自分もたくさん痛い目を見てきたからこそ、そうでありたくないと最近は強く思うようになった。
・調理を終えたフライパンにうっかり触れてしまい、皮膚にうっすらと赤い線が走る。身体ってしっかり火傷するものなんだなぁと思う。痛いし、またやりたくはないが、身体が即座にする反応というのは、全く違う生きものを見ているようでおもしろいなぁと思う。
・アップデートされた、chatGPT 5.1がいい感じ。「こうなんじゃね」という思い込みをぶつけても、過度な同調も否定もせず、新しい風を吹かせてくる感じがある。

11.14(金)
・なかなか事が進まないときでも、わりと観念して、できることをやろうと息を吐くのが、眉間の皺を薄める方法だろうな。
・そのうちトマトチキンパエリアを作ってみようと思う。
・アクション映画やマーベル系の作品を見ると、ギャングのヴィランがよく出てくるが、考えてみるとギャングも組織で働いている。あいつら、人は殺すのに立派に社会人やってやがる。なんなんだ。報連相をミスってボスのヴィランに殺されたりする部下もいるが、大概は器用に組織で連携をとって働いている。ボスと無鉄砲な部下の後始末で右往左往していたりするのは、中間管理職のようでもある。事務作業とかも裏でしているんだろうな。それに、そういったヴィランは豪華な屋敷に住んで部下に警備させていたりするが、権力があるのにシェアハウスしてるんだと思ったりもする。ウイスキーとか飲んだりしてるけど、ロックグラスをあの中の誰かが洗剤をつけて洗っているんだろうなぁとか。あいつらはめっちゃ働いて、日々生活してるじゃないか。ギャングやるなら、東京のIT企業でも働けるよ。
・ギャングの部下の日常を描いたコメディ映画とかあったらおもしろそうなのに。同僚と談笑していたけど、ボスが入ってきて気まずそうに黙るシーン。ボスが怒って壁に投げつけて砕けた花瓶の残骸を「またかよ」と内心思いながら、ほうきで掃除するシーン。敵(ヒーロー)が乗り込んできて口にしたセリフを、ボスがからかって貶すところを「アッハハハー」と愛想笑いだとバレないように笑顔を作るシーン。ギャングはサラリーマン。

11.15(土)
・茨木のり子さんの作品がどうしても見たくて、展示『装いの翼 いわさきちひろ、茨木のり子、岡上淑子』に行ってきた。装いがテーマだったのは副次的ではあったけど、とてもよかった。詩の展示ってやっぱりいいなと思う。黒い文字の部分と白い紙の質感を同時に読んでいた。文字は白い下地があるからこそ、黒が浮き出てきて読めるようになるわけで。写真も光を描くことから始まっているように、明暗によって写真になると単に表せるものでもなく、浮き出てくるものを分解していくと、広大な白い大地に立つ部分から始まり、そこに存在するものが置かれることで、両者が存在することになる、みたいなことなんだろう。最近はそういった余白というものを読めるようになったなぁと思う。
・手紙でやりとりする時代。相手の字が全く読めないことってあったのだろうか。展示された手紙を読むと、とても識別できないと思ってしまった。慣れてくると読めるのはあるだろうなぁと思うけど。
・唇が渇きすぎる。なんなの。
・お店のトイレの洗面台に飾られているこじんまりした花が、造花だと思ったら生花だった。ここで生きるのはどのような気持ちかと思ったが、ただただ生きていることが逞しくていいなと思い直した。

11.16(日)
・敬意を持つこと、拒否することは、両立できるのではないかと思う。嫌だったということを言われたし、長らく嫌だったことを言う機会があった。どちらも、そわそわする。拒まれることはさみしく、怖いことである。だが、見つめる機会だよなぁ、とも思う。試しに買ってみたヒートテックソックスを履いていたら、ポカポカというか暑かった。身体が揺れ動いている。まだまだ時間がかかるものだ。
・どうせ伝わらないと、「伝わるかどうか」を書いているときに考え始める時点で、いい文章にはならない。
・「作りたい!」という熱がある人の手伝いをするのって、とても楽しい。そういうことをやり続けたい。
