清談のあいだに

どこにでも馴染めるけど、どこにでも馴染めない。そういった感覚を長らく抱えている。

今年は日本へ帰国した年だった。昨年の9月に、1年間かけて国中を回って暮らしたスペインを出国した。いくつかの国を経由して、半年をかけて日本へと帰ってきた。

振り返ると、笑えるぐらい「めっちゃ旅してる」ように思える。けれど、当時の自分は「旅してる」とは到底思えなかった。住む家がないから横移動をしているというか、移り住んでいるという感覚だった。

外から見れば「それが旅だ」と言われるのかもしれない。自分でもそう思い始めている。それでも、当時の自分が「これは果たして旅なのか」と感じていた切実さを、わざわざ自分で損なおうとはしない。「旅」という言葉では括れないものが、確かにそこにはあった。

思えば、旅だと思えなかったこと自体が、自分の下地をよく表している。この感覚は、そうして移り住んできた移動の輪郭を形作っている。いつか自分が引き受けようと思うことがあったとき、それは指針になるのではないかと思った。

夏には長かった移動生活を終えて、定住を始めた。この街の暮らしを気に入っている。家も静かで(本当に良かった…!)、都内との距離感や規模もちょうどよい。好きなお店もいくつかできた。近所のスーパーで知っている人に会う回数も増えた。

居場所のなさを感じることはない。それでも、あの感覚は消えるわけではなく、在り続けるのだなぁと受け止めている。

それは「周縁」に留まっているような感覚でもある。「中心」の対比として「周縁」があるのではなく、中心そのものは最初から空洞で、周縁のみが存在する部分に留まり、灯りをともして暮らしているような気分なのだ。

どのような環境でも、ほどよく暮らしていける。だが、確実性に寄りかかって、そこで決着をつけることがどうしてもできない。見ないふりをして「これが課題だ」と思い込んでしまえば楽なのに、その楽さを選ぼうとしないところに、一抹のさみしさを感じる。だが、それを良し悪しで捉えているわけではなく、ただそうなんだよなぁと思っている。

傷と知識を武器として蓄えたつもりになって、自身を点検しないような生き方はしたくない。だからこそ、あいだに立つような捉え方をしていたい。

同時に、そういった感覚を抱えて周縁で生きていくこととは、地面に点を打つことでもある。点を打つことは、この感覚に応え続けるということであるんだろう。

振り返りをするまでは、あまり気付いていなかったのだが、今年は環境だけではなく、内的な変化も大きかった年だったのかもしれない。

「共に在る」ということを、よく考えていた。誰かが後悔を抱え続けているとき、それでも何かに「美しい」と思えることは、共に在れないものだろうかと思う。

少し前までの自分は、「質の良い対話がしたい」と強く思っていたと思う。だから、そうなり得ないやりとりに対して、煩わしさを覚えることもあった。着眼点としては良かったけれど、自分はそれで収束させようとしてしまっていた。

だが、思い直してみると、何事も終着点として捉えるのではなく、出発点として捉えていたいと思った。対話とは何なのか、質という捉え方でいいのか。そう思うと、寒い日に、わかっているのに「寒いねぇ」と言い合うようなことは、「共に在る」という感覚に近いのではないか。長い時間をかけて、ようやく出発点にやってきたのかもしれない。

同時に、しいんとした言葉にも触れていたい。真冬の空気を吸い込んだときのように、頭がシャキッとする言葉や文体というものがある。自分の方からではなく、「認識」の方が扉を勢いよくバンッと開けてきて、戸惑いにさらされるようなこと。そういったものを「美しい」と思える気持ちでいたいと思う。

そうではないものもある。息を吐くように悪口を言うこと。言葉を身体に滞留させないままに口を滑らすこと。誰かの「やってみたい」を最初から否定して折ること。

自分もたくさん痛い目を見てきたからこそ、そうでありたくないと最近特に思うようになった。これらは本当に、見事に、簡単に、信頼をなくす上に、何よりも自身に失望を招く行為なのではないかと思うようになった。何もかもがつまらないものになる。

そう思っていたとき、詩人の茨木のり子のエッセイ本『言の葉さやげ』に、「清談について」という話が出てきた。本人いわく、「詩ともいえないしろもの」らしいが、詩を読むような気持ちで自分は読んでいた。

清談をしたくおもいます
物価 税金のはなし おことわり
人の悪口 噂もいや
我が子の報告 逐一もごかんべん
芸術づいた気障なのも やだし
受けうりの政談は ふるふるお助け!

日常の暮しからは すっぱり切れて
ふわり漂うはなし
生きていることのおもしろさ おかしさ
哀しさ くだらなさ ひょいと料理して
たべさせてくれる腕ききのコックはいませんか

私もうまくできないので憧れるのです
求む 清談の相手
女に限り 年齢を問わず 報酬なし
当方四十歳(とし やや サバをよんでいる)

茨木のり子『言の葉さやげ』

文章に「やかましさ」というものがあるのならば、茨木さんの文章はそこから最も遠い場所に埋められているといつも感じる。

では、「清談」は「質の良い対話」を求めるような態度とは違っているのだろうか。これらを紐解くために、環境の変化の話に一旦戻ってみる。

帰国して本格的な家を探すあいだ、数ヶ月だけ組織で働いてみた。

まず思ったのは、「地獄ってちゃんといっぱいあるんだなぁ」という発見だった。清談とは程遠いやりとりを重ねた。社会と友好関係を築けそうと思えていたところに、社会もまだまだ絶望させてくれるもんだなぁと思った。社会はなんて懐が広いんだと感心した。

仕事とは、目の前のことから見ないふりするためにあるのだと心底思った。全くもって皮肉ではなく、自身もその中の一部として、真摯にそう受け止めた。だからこそ、仕事と自身が引き受けようと思えることが重なることがあっても、その分別はつけておきたいと思えたことが、大切な発見でもあった。

さらにいえば、ベンダーとユーザーの関係性は何かがおかしいのではないかとも感じていた。「user(ユーザー)」の意味を調べてみると、「使用者」「利用者」のほかに、「搾取者」「中毒者」という意味合いもあると知った。

なかなかひどい、とは思ったが、それでも働く中で「何かを使うこと」とは、元々そのような性質を帯びているものなのかもしれないと腑に落ちるところもあった。ユーザーが悪いとかではなく、誰しもが何かしらのユーザーであるわけで、そういう側面を持っているのだろう。

清談、それは「搾取者」「中毒者」としてのユーザーであることを引き受けたまま、フェーズ、今の自分を未来に向けてではない「とある状態の地点」として捉えること、そしてその状態で媒体を問わずに「言葉を尽くすこと」を指すのではないかと思った。

無事に家が見つかって定住してから、個人事業を続けつつ、色々な縁があって、店番としてたまに店に立つようになった。

個人事業主になってからというか、そもそも客商売をした経験が全くなかったから、絶対に無理だと思っていたけど、意外となんとかなっている。自分でびっくりするほどの失敗もするが、日々発見がある。レジ打ちができる人生になるとは思わなかった。レジが打てると、世界の理を全て知っている気分になれて大変よろしい。意外とみんなSuicaで支払うんだとかも思う。

一緒に働く人たちとのやりとりも平和で楽しい。それぞれ生活があるんだなぁと思える。こういう働き方を試せていることも良かった。誘ってくれた人たちへの感謝もあるし、自分にはどんなことができるのだろうかと最近よく考えている。

大変なことはたくさんあるけど、真摯に生きようとしている。社会に対する責任も、ある意味で背負おうとしている。過去を踏まえると、ほんとによくやっているというか、どう見ても良くなっていると思えているのは幸いだ。

そんな暮らしの中で、閉店した新潟の書店「BOOKS f3」の存在をたまたま知った。行ったこともなければ、繋がりも何もない。オンラインストアのURLがまだ生きていたので開くと、商品ページは当然空っぽだったが、いくつか過去のイベントの記事などが確認できる。そこに、店を閉めた後に書かれたのであろう短い文章が、ひとつだけあった(現在はすでに消えてしまっている)。

しいんとした、さみしさのある文章だった。なのに、なんだか灯りがともされているような温かみも感じた。読めてよかったと思った。どうにか感想を送りたかったが、連絡手段は何もなかった。

しばらくして、笠間直穂子『山影の町から』という本を手に取った。好きな文体だったし、いい本に出会ったと思った。その中に、とある新聞の投稿欄について言及した「消される声」という章が、とても印象に残った。

自分は好きな文体の書き手に、「もっとたくさん書いてほしい」と思ってきた。「読めるものは全部読みたい」「できたら日記も書いてほしい」、そう思ってきた。でも、たった一文であったとしても、その人が書いたこと、書こうと思ったことに触れられるのは、どれだけ嬉しいことなのだろうか。それ自体の豊かさを軽んじたくないと思った。先ほどの閉店後に書かれた文章と、この本の文章が交差していった。

同じ時期に、「手帳類図書館」へ行く機会があった。さまざまな人たちの手帳やノート、日記などが無数に集められている。申請すれば閲覧できる。そこに収められていたのは、自分が想像していた「書き手」から外れていた人たちだった。

誰かに読まれる想定がされてない手帳だから、という話ではない。書くことは「書こう」と決めた人たちの元にあるのではなく、もっと開かれていて、区画内に収められるはずのない営みであったのだと体感した。文体の好みによらず、夢中で読んだ。

自分は自身の好き嫌いを大切に扱ってきた。まず、出てくるのは感情的な気持ちであるし、そこに良し悪しはない。だが、それらは今の時点でのことであって、覆るかもしれないし、そうであっていいと思っている。

それに加えて、物事の結果として目の前に現れているものではなく、原初のきっかけや、そこへ至るまでのプロセス、落とされていった無数の「しなかったこと」を踏まえて、見つめてみたいと思い始めた。

もちろん結果が気になることもあるし、ときには共に在ることが難しかったりもする。それでも、誰かが何かをしようと思ったこと自体をリスペクトしていたい。

改めて、清談とは、受け取ること、そして手渡そうとすることの態度であるのかもしれない。それは、か細くて不安定なものである。だが、そのか細さが「生きていることのおもしろさ、おかしさ、哀しさ、くだらなさ」と言えるのではないかと思う。

思いつきだが、しばらくは禁酒のように、禁悪口をしてみてもいいのかもしれないと思っている。

ただ、それは禁止事項を設けてできなかったときに自罰的に振る舞いたいわけでもないし、「何が悪口なのか」を言葉のふるいにかけて裁きたいわけでもない。

何の気にもしていなかった状態から、設定を置くことで、そこに何が生まれてくるのか、よくわからないけれど、見てみようということである。

そもそも、人と話し続ける以上、完璧に断つことはできない。ちょっとした一言が、悪口への加担となることだってあるだろう。だからこそ、人に向けてではなく、自分が今そういう状態に来ている、という感覚を捉えていたいと思っている。

改めて「この1年の働くを振り返る」と、仕事が目の前のことから見ないふりするためにあるのだとして、そこから切り分けた先には、探求という「批評」が置かれていた。

自分が「批評」という言葉を持ち出すとき、いつも引くのが、批評家の小林秀雄が岡潔との対談本で語っている、この言葉だった。

高みにいて、なんとかかんとかいう言葉はいくらでもありますが、その人の身になってみたら、だいたい言葉がないのです。いったんそこまで行って、なんとかして言葉をみつけるというのが批評なのです

小林秀雄、岡潔『人間の建設』

帰国して、定住して、店番を始めて、環境の変化があったからこそ、そういった暮らしのあいだには、清談か、悪口かと評価するのではない領域があるのだと気が付いた。だからこそ、自分を含めた人が何を受け取って、引き受けようと思ったのか、そこを探求してみたいと思った。

少し前から「共に考える編集者」というコンセプトを温めている。

フィルム写真を撮ること、書くこと、本や文章を読み、時には編集や本作りの手伝いをすること、対話会やポッドキャストの企画と制作などをやってきて、それに対して「編む」という感覚を覚えるようになってきた。

それは、束ねて整えていくプロセスではなく、むしろ、まっさらな大地に広がる無数の現象を、一つひとつ手作業で、横にいる人を「大変だねぇ」と労いながら、同じ地点にいる探求者として、発見していく営みであるのだと思う。

今までは「編集」という見方を遠ざけていたところもあった。だが、言葉が混ぜこぜになってしまうけれど、批評として探求することには、編むことも含まれていると思った。

そうして、作り続けてきたZINEが、もうすぐ完成する。中断と再開の繰り返しで、落ち込むこともあったが、長い時間を共にしたからこそ、編集、「編む」という営みと向き合い続けられたと思う。

とてもとても苦しかったし、手に取ってくれる人が果たしてどれだけいるのかわからないけれど、手伝ってもらえる人もできた。だからこそ、ひとつ編んだものが出来上がるのは、楽しみなことだ。

また、意外なものが編まれてきたと自身で思っているのだが、「書店兼出版社」をやってみようかなと思い始めたことだ。

ある意味で他人事のように、「ほう、そんなこと考えたのか」と思っている。それぐらい、今までの自分にはなかった発想だった。

今は店番もしているし、周りで小さなお店や商売をやっている人が多い環境である。閉店した書店や私設図書館とも出会った。それらは要素の一部ではあるだろうけど、きっかけとはまた違う気がする。

ふとした思いつきだった。自分のZINEを作ったり、本作りの手伝いをしたりしていて、良いなと思う書き手に声をかけて、本を作れたら楽しいのかなと思ったから、まずは出版の方に興味を持った。そうなると、書店機能もあってもいいのかなと軽く考え始めた。

そこから、なんとなく書店やお店をしている人たちの本を読んだり、実際に書店や出版社をしている人に話を聞いたりした。すると、どうも特に書店の方は商売の仕組み上、粗利が低すぎるようで、「本を売る」というだけでは生活はできなさそうだ。誰も彼もギリギリか、もしくは間に合っていない状態でお店をやっているようだった。本って大事なものなのに、何かがおかしいと思った。

そうなると、どうしたら持続的な書店兼出版社ができるのだろうと、考えるようになった。あれこれ構想してみるのは、遊びとしても楽しかったが、本を売って生活できないなら、社会の方が変ではないかと思うようになった。

どうしてたくさんの読者がいるのに、本が大事だという人がいるのに、商売として大切にされていないのだろう。そういうことを探求してみたくなった。

だからこそ、書店兼出版社をやることが目的なのではなく、探求のプロセスの一環として、それらが目の前に来たから着手する、という状態である方が、持続的にやれるのだろうと思った。

ひとりでやろうとは全く思っていない。手伝ってくれそうな人はいるけど、もし本格的に誰かと経営していくのなら、売上をより作る必要がありそうだ。だとしたら、そこから逆算して作っていくことになるのだろう。その状態でどうしたらできるのかを楽しみながら考えてみたい。

完成したZINEが届いた後、書店兼出版社に関して、そのとき探求したいと思っていることを試してみるのが、まずは第一歩なのかなと思っている。

ここまで書いてきて思うのは、清談の態度に立つと、去年の振り返りで書いたような「社会と友好関係を築く」ようなことが、か細いながらも感じられるということだ。

社会は容易に壁となるし、懐の深い地獄にもなる。そうなったら距離を取ればいい、という話ではないのだろう。距離を取るだけだと、社会との友好関係は薄れていく。薄れていくと、社会はまた壁となる。

だからこそ、清談のあいだを捉えていたい。受け取ること。手渡そうとすること。言葉を尽くすこと。そういう営みを、「書店兼出版社」と「共に考える編集者」も含めて、働くの中に埋葬してみたい。

どこにでも馴染めるけど、どこにでも馴染めない。周縁で灯りをともして暮らしていると、最近は何にも知らないと思えることが、とても豊かだと思った。

清談のあいだで、探求として、ゆっくり編んでいると、きっと来年もまた掘り起こされるものがあるのだろうと思えている。