日記的雑記帳「カイエ」|2026.01.19-01.25

01.19(月)

・頭の中にキャッシュが溜まっている状態。気分が乗らない。

・物事は良し悪しではないことを思い出したい。

01.20(火)

・やはり体調が悪いわけではないけど、決して良くはない感じがずっとあって、落ち着かない。「より良く」と思って、身体に入れるものをこだわってみたつもりだが、何かを見落としている気がする。

・夏目漱石『こころ』って、めっちゃ「こころ」じゃんって思った。人間はしょうもないと確かに思っているつもりだが、それは決してニヒリズムで終わりたいのではない。読んでいて、どうも彼らをジャッジする気になれなかった。たとえば、登場人物たち以外でも誰かに対して「愚かで面倒な人だ」と言いたくなるとき、そう言っている自分はどこの地点から話しているのだろう、と思う。自身も同じくままならない人間として認めながらも、傍観者として判断しようとする気にもなれず、ただただ平熱で文字を追っていける本だった。豊かな読書だった。好きな本になったのだけど、熱量が高いわけでもなく、距離が近くなりすぎない本だなぁと思う。

・『こころ』の解説のような文章を少し読んだ。あまりにも受け取り方が違うなぁと思った。『こころ』は救いようがなくて、憂鬱な話なのだろうか。全くそう思えなかった。人間ってこんなものじゃないかと思う。それでも、どう生きるかは再出発できる。どの人間もどうしようもなさを抱えている。そうなんだけれども、ぴったりと楽しく共に居られる瞬間が、ふいに訪れたりする。そこが楽しいのではないか。良し悪しではなくて、そういう瞬間を自分は楽しいなと感じる。たとえば、誰かを外れ値だと指摘するとき、たとえ好意的な意味合いであったとしても、そこには無意識に「平時はこの方が普通である」という目線が入っているように思う。そうしたいのは自分のどういう部分なのか、どうして問おうとしないのだろうと思うときがある。そういう部分を探求するのがおもしろさだと、自分は思いたいのだろう。

・平熱だけど、豊かに思える感覚があることが、腑に落ちるところなのかもしれない。

01.21(水)

・朝起きたら寒すぎる。人間が活動する気温じゃない。

・影との戦いというのは、古典的なテーマなのかもしれない。

・新しいことを始めて楽しい気分。

01.22(木)

・発散と収束の塩梅というものはある。それらがちょうど良いと、グッとおもしろくなる。

・嫌だったということは、必ずしも誰かをジャッジすることには繋がらないのではないか。

01.23(金)

・今朝の気温は-5度。そんなのダメだろ、と気温に当たりたくなる。

・野球部男子みたいな高校生が、自転車で西野カナを流しながら通り過ぎていった。

・音楽っていいなぁと思った。

01.24(土)

・時間が迫っている状況が耐えがたくて、妙にイライラしてしまうときがある。そもそもそれは、ちょうど良くなるようにギリギリのタイミングを狙っていたからかもしれない。早めに取り掛かれば、それでいいのだと気付いた。何かを得たいと思ってせかせかするけど、よくよく考えてみると、そのやり方ではむしろ失うばかりで、だとすると、今こだわっているものを手放した方が、求めるものは得られる。そういう状況は意外と日常に溢れているのだなと思った。

・映画『ハリー・ポッター』シリーズの字幕版をなぜか見返したくなった。

・もらったハンドソープが、手を洗った後もしばらくとても良い匂いで驚いた。いつものビオレは香りが一瞬でなくなるのに。

01.25(日)

・情報の構造設計や整理において、グルーピングを学んでおきたいと思った。適当に分類して収拾がつかない、みたいなことがありすぎる。ただ、収束させようとしても、はみ出すことを前提にするような設計にしていたい。

・日中は家にいるときは平気だったのに、なんだか妙に頭や目のあたりが重くて、花粉かもしれないと思った。調べたら、今年は従来の対策が通用しない恐れがあると出てきた。そんなんアカンやん。

・制作中のZINE、また手直しが必要かもしれない。気持ちは重くなったが、湯船で奈倉有里『文化の脱走兵』を読んでいると、定住せずに暮らしていたときの切羽詰まった感覚を思い出した。こうして帰って静かに暮らせる家があることが、どれだけ豊かなことなのか、追い焚きで熱いお湯が足元に流れてくる水流を感じながら、恵まれているとかそういうことではなく、過去の自分を思い出してそう思った。