03.09(月)
・身体性についての本を読んでいた。身体と一致すること、身体の声を聞くことがいいと思っていたけど、共有できないという絶望を経て、ある種、手放し始めると、「よい加減」みたいな状態が生まれてくるのかもしれないと思った。「私のもの」ではなくなるのか。
・出先でレタスを1玉もらった。大量のほうれん草は遠慮しておいた。帰りにそのレタスをトートバッグに詰めた状態でスーパーに行ったが、万引きしていると疑われないか妙にそわそわした。とてもレタスを食す者とは思えない雑な食料を買った。レタスを何にするかはまた考えよう。

03.10(火)
・部屋の机の位置を変えた。窓に対して正面を向いていたが、窓が左側に来るようにすると、光が差し込む量が増えて居心地が良かった。ベタに模様替えはするものだなと思った。
・薬のおかげで、今が花粉のピークなら余裕だなと思えている。色々試して合っているものを探したのが良かった。ただ、飲み薬、点鼻薬、目薬、マスクをしているから、これで効かなくなったら終わる。余裕のあるうちに、「花粉なんて雑魚だな」と思っておくことにした。

03.11(水)
・アーシュラ・K・ル=グウィン『アースシーの風:ゲド戦記 6』の読書会。誰かが偉そうに考察を語ることもなく、みんなでわからなさを持ち出して、同時に謎が緩やかに解読されていく、ほどけていくような感覚がある読書会だったから、とても楽しかった。別冊であと1冊あるが、ゲド戦記のメインストーリーはこの本で終わりであって、そういう寂しさと清々しさがあった。何もかもわからないことだらけ。ただ、今はわからないけど、それでいいのかなと思えたシリーズだった。それは興味がないとか、わからなさを許容するとかでもなく、わからなさに対して焦る気持ちがなくなってきたというか、わかりたい、もっと知ってみたい気持ちがある上で、その過程を短縮しようとは思わなかった。自然というものは、流れに流されるだけではなくて、流される中でも、抵抗はする感じ、抵抗とは反抗ではなく、まあ少しでも身体の角度を変えておくと楽かなと、身体が無意識に寝返りを打つ行為みたいなことかもしれない。改めて、ゲド戦記は生きることを表しているシリーズだと思った。ほんとに、ジブリのせいで残念なことになっているが、原作はもっとたくさんの人に知られてほしいなと願っている。
・リズムをつかむということ。文章だけではなく、リズムが合うということの体感値を増やしていきたいと思った。
・AIのハルシネーションとの付き合い方を調整する、というか、大半はムカムカと「なんでだよ」と頭を抱えている。だが、そもそもLLMというのは、「それっぽいこと」を出力するものであって、ある意味でとても人間らしいというか、言語の性質をよく表しているなと思うからこそ、その前提に立ったうえで、「精度を上げようとすること」も同時並行でやっていきたいと思っている。

03.12(木)
・久しぶりに寝起きで頭が重くなかったので、とてもうれしかった。
・『バイオハザード レクイエム』の実況動画を見終わった。グレースのように、怖がりで戦闘能力の低い主人公はメインストーリーでは初めてだと思うが、見ていても怖くて、いい塩梅だと思った。いかにレオンやクリス、イーサンが強くて安定していたのか気付けた。だから、全体的にとてもおもしろかったのだけど、エンディングの内容とかよりも、あまりにも細かい謎が残されすぎていて色々と調べてしまった。眠れなくなる。

03.13(金)
・生成AIに長期記憶や脳的な機能を実装させようとする人も出てきたようだ。おもしろかった。自分の場合は、ハルシネーションと格闘するぐらいが、当分はよい加減かもなと思った。
・バランス、一度バランスを崩すということ。

03.14(土)
・状態の違い。螺旋状だとすると、それらの場所がただ違うだけで、今そういう状態ではないということはよくある。逆に言えば、そこからまたぐるりと螺旋状に回っていくと、その状態になることもあるのだろう。
・どらやきを持ちながらキャベツ切っている人はおもしろい。

03.15(日)
・抵抗という言葉について考えてみたい。
・ビルから工事現場を見下ろすために靴を脱ぐ。
・ゲド戦記における「全き者」というのは、完璧を求める者というより、ただ命を全うしようとした者ということだったんじゃないか。やっぱり生きることを表しているんだぁと思う。
