03.23(月)
・「形にする」ということを考える。閉じる、集約する。対話をしていて、発散によって広がる楽しさはあるが、時折平行線にもなってしまうから、集約していく動き、まとめるというよりは、繋げて手繰り寄せるみたいな状態に入ると、話としてぐっとおもしろくなる気がしていて、その直感に近い。
・近頃は連日何十時間もAIとやりとりを続けている。「言葉にする」を全身で浴びているような、頭のファンが常に回っていて、なかなかに疲れる。言語化が大事とか、反対に言語化しすぎるとか、そういう問いの立て方ではない領域で、立つというか立たされている感覚がある。

03.24(火)
・夢の中でも生成AIにプロンプトを打っていた。
・週1でスーパーに行ってほぼ自炊で生活すると、食費の出費がかなり抑えられて良い。料理は面倒だと思うことも多いけど、食材を食べられるもの、好きな味に変換する行為は楽しいなと思う。

03.25(水)
・怠惰は発明の母。ほんとにそうだよなぁ。
・愛してやまないマルちゃん焼そばが置いてあるエリアに、何か光るものがあった。コンソメパンチ味だった。こんなにも私に照準を合わせてきたのかと気分が上がった。すぐに買うことにする。夜に焼いて食べてみると、口に入れた瞬間、一瞬ポテチの風味が駆け抜けていったが、その後は一向に戻ってこない感じがした。コンソメの味はするから、かなり好きな味付けではあったが、コンソメパンチ味なのかはわからない。ただ、ポテチ味を開発しようと思うことが最高すぎると思った。

03.26(木)
・AIの出力待ち時間に、しばらく読みかけのままだった、青木真兵、青木海青子『山學ノオト 4(二〇二二)』を読んでいる。日記本に触れたのは間違いなくこの本がきっかけだったし、日記というか、こうして書いている、「カイエ」と呼んでいるメモ的な散文を公開し始めたのは、複数の文脈が存在しているが、それらに影響を与えた一つが、この「山學ノオト」シリーズでもあった。日記、日記本という営みが好きだが、ページをめくりたいと思える日記は意外と少ないなと思っている。だからこそ、自分にとってはこのシリーズが日記の原点という感じがある。読んでいると、やっぱりいいなぁとしみじみ思う。生活、思想、知らなかったお店や活動、二人と犬と猫、生き物として生きること。文字に触れるというのはこういうことを言うのだと思える。日記はこうだと言いたいわけでもなく、具体と抽象、往来のあるような日記に触れていたい。

03.27(金)
・AIへのもどかしさに当てられるたびに、言語とは本来そのぐらい綱渡り的なものなのかもしれないと思う。それを危ういと思うのか、細い綱の上をそれでも渡ろうとしていると思うのか。少なくとも、落下せずにいられる状態があるという言葉の性質を愛していたいなと思った。
・自分を低く見積もる、というか、そもそも高低で捉える、見積もるという目線で自身を見ている人を見ると、なんだかこちらも苦しくなる。別に尊大である必要はないが、わざわざそういう言葉を使わなくていいとは思う。言葉を使わないようにすることで、別の言葉につながっていく。新しいものが見えてくる。だからこそ、たとえ同じ場所に思えるところに着地したとしても、言葉を解体して、組み直して、腑に落ちるところまで待つことを自分はしていたいのだろうと思う。

03.28(土)
・外でアイスをたべるとたのしい。
・自分の中の影を認める、他人に投影していた影を引き受ける。

03.29(日)
・教えてもらったように、お好み焼きの生地に山芋を入れてみたら、めちゃくちゃ美味しかった。
・曇りなき眼で全てを見定めようとすると疲れちゃうよね。
