日記的雑記帳「カイエ」|2026.05.25-05.31

05.25(月)

・本を読む人なんて少ないとざっくり思っていたが、自分に合う本と出会う機会がないだけで、実は多くの人は潜在的に本と出会うのを待っているのかもしれないという仮説を立てた。

・干し終わったサバのみりん干しを食べてみると、素朴な味がして美味しかった。意外と簡単に作れるんだな。サバと明太子の炊き込みご飯というものがあると知って、残りはそれにしてみようかと思う。

・少し外に開くこと。なぜ見られる位置に置くのか。シェアしたい、見られたいという気持ちがなくはないけど、それよりも、内で完結するよりも、窓を少し開けて外の空気を入れ換えるように、少しだけ外に置くことで、自らに変身する余地が生まれる。固定化したものを手放したり、多少はカオスかもしれないけど生まれる発見があったり、それがおもしろく思える。自分側におもしろく思えるポイントがあるから、少しひらけた場所に置いてみようという試みである。

05.26(火)

・人の声って変わるんだなと。不変的なものだと思っていた。環境次第で変わるのだ。いきいきしてる声ってあるなぁと思う。

・高校生が「マジで!暑いよ!俺は〜!」と大声で叫んでいて、なんだか文法としておもしろかった。

05.27(水)

・塗り薬が目に入ってしまったようで、左目の瞳孔が右に比べて大きくなってしまった。散瞳というらしい。気付かずに外に出ると、目が開けられないぐらい眩しくて、あくびの後の涙のように、全体的に視界が霞んで見えて、道路の白線が妙に白かった。変容したのは私なのに、外側が全て変わってしまったような感覚に陥った。瞳孔が収縮しないだけで、こんなに影響が出るのだなと体感した。

・みんなが楽しそうなのを見ると、素直に嬉しいなと思えた。管理とか誘導とかは必要ないなと思う。こうやって楽しそうなときもあれば、気分が乗り切らないときもあるだろうし、それでもいいじゃないかと思えた。

05.28(木)

・いろんな関係性があるんだなぁと観察していた。

・サッカーユニフォームを普段着に取り入れるスタイルは、ブロークコアというらしい。名前があったのか。夏は柄シャツが多いから、他のスタイルを探してみようと思ったが、ドンピシャなシルエットのシャツを手に入れてしまってからは、いっそ色々なシャツのスタイルを楽しんでみようと決めていた。でも、ブロークコアを知って、今年の夏はシャツとサッカーユニフォームでもいいかもしれないと思えた。涼しいし。日本代表だと、1998年のホーム、2026年のアウェイが欲しいなと思う。OasisとAdidasコラボのものも欲しい。お気に入りの服ができると、着る度に最高だなと思える。どうせそのうち死んでしまうので、いつだって好きな格好をして死に切りたい。あぁ、でもそこばっかりにお金を使っている場合でもないよなぁ。

05.29(金)

・やっぱり書きたいと思ったときに書いた方がいい。

・そのとき思ったり書いたりしたことは、未来に対する信頼になる。

・カレーのレシピを教えてくれるらしい。

05.30(土)

・禁酒中だが、酒を解禁する夢を見た。ちゃんと今日はいいかぁと気が緩んで飲んでいた。

・出入りが多いけど、餃子の餡だけは仕込んでおく。生姜はチューブにして主張を抑えて、にんにくは生をみじん切りにして、前回よりも味に干渉するようにしてみた。帰ってきて包んで焼き始める。餡を包むのはたのしい。味噌は引き続き入れてみたが、やっぱりコクが出てとっても美味しい。皮も大判で厚めにしてみて良かった。これはこれで完成品と言える。だが、理想とする餃子は味噌のこのコクではない気がする。出汁系で何か変えてみるか。妙にパンチがある感じにはどうやったらいいのか。キャベツ本来の甘みも引き出すには。水気は切っているつもりだから、新鮮な良い品種のものを使う必要があるんだろうか。また来週も作ろう。

05.31(日)

・身体が重いわけでも、気分が悪いわけでも、気怠いわけでも、モヤモヤしているわけでもない。ただ、何かがひっかかっている。その気持ちを引き上げてみようとしても、底が暗くて何も見えない。何の手掛かりもない。息苦しい。息が吸えない、いや、息が吐けていないのかもしれない。息を吐くと、自身の重さがすとんと腑に落ちるような感覚になる。ちょうど一人分、そこに在る。それだけがわかる。

・餃子の餡を包むときのように、粛々と書き始めてみる。ぽつぽつと書いていくと、これは息苦しさなのかもしれないと思う。途中で部屋に蚊が飛んできて、せっかく書いていたのにと、ぐわぁっと声が出た。スプレー片手に待機していたけれど、いつまでも見つからないので書くことを諦めようとしたが、結局区切りまで書いた。ここ数日は書きたいと思ったときに、他を諦めて書くようにしていて、そうするとむしろ生活していると感じられる。「生活」の中に「書くこと」や「料理」があるのではなくて、今は「書くこと」や「料理」を引いた中に「生活」があるのだと、最近は思っている。