日記的雑記帳「カイエ」|2026.08.03-08.09

08.03(月)

・家にいると、急にぼかーんっと家が振動して何かと思ったら、隣の家の人が車をぶつけたらしい。うちの敷地のブロック塀が見事に破壊されていた。どうやったらそこにぶつけるのという場所で、芸術点が高いなと思い、ちょっと笑えた。思わず写真を撮った。だが、壊されたとかより、そこに関わるやりとりを想像して面倒すぎてすぐに萎えた。ぶつけた人は動揺というかむしろ怒りながら家族らしき人に電話していて、対応していた警察官に事情を聞いた。警察で働く人って大変だな、こういうの日常なのかと思った。ぶつけた人は電話で話し続けていて、状況を説明したり、受け入れられなさを口にしていたが、まず適切な相手とこの状況をどうしていくかを一つひとつ決めていく方がいいんじゃないかと思った。ザラザラした後味の悪さが残った。こういうとき、出勤して同僚に話したかったなと思う。

・幼稚園時代の記憶について話した。明確な自我を持ったのが、小学校低学年ぐらいだと思っていて、それ以前の記憶がないわけではないのだが、自分と世界との区別がついておらず、その状態で一体どう存在していたんだろうと思う。老人になったら、またそういう状態になるのだろうかと思うと、少し怖くなった。

08.04(火)

・Opus5をメインで使っていたところを使用制限を考えて、Sonnet5を常用するようにし始めた。ちょっとしんどいなと思う。Opus5は「これやって」とぞんざいに投げても、コンテキストを適切に拾ってきて、素早く返してくれた。だが、Sonnet5でそのやり方をすると、定常業務は問題ないが、それ以外では精度がかなり低くなるようだ。ハーネスは既に設計しているのに、整理してコンテキストをこちらから渡して、手厚いプロンプトで説明しないと、「わかって」くれない。AIに「めっちゃアホやん」「いや、わかってくれよ」なんて思うとは。Opusに慣れすぎた。制限を回避するための使い方をしているけど、いっそ超えたら、追加で課金する前提の方がストレスは少ないのかもしれない。

・なんだか、顔の筋肉が重くて、表情筋を使用したくない気分だった。珍しく少し頭が痛いような気がした。頭痛慣れしていないので、これが頭痛なのかよくわからなかった。ジムで身体を動かしたが、今日は清々しい気分にはならなかった。頭痛のときは運動しない方がいいのか。それとも他の要因か。風呂で沈んでしまいたくなるほど、重力に逆らえない状態。

08.05(水)

・疲れている。これが疲れだというお手本のような感覚。

・Xなんてロクなことがないから、あんなもの辞めなよと言いたくなった。

・薬味マックスにした豪華なうどんを食べたら、少しは元気が出た気がする。

08.06(木)

・自分を取り戻すための活動。

・身体の中でうねうねとした気持ちの悪さがあったが、少し横になるといきなり小腹が空いて、その気持ちの悪さがなくなってしまった。体調ってこんなに変わんだ。帰りに少し走って汗をかいたら、いい気分だった。

・カオスさを真に受けないこと。

・歳を取ることの素晴らしさは、複雑さの先にあるものを、極端な言葉として切り出して終わらず、言葉として手繰り寄せられることにあるのかもしれない。複雑なものに耐え得るわけではないにしても、その都度傷付き、立ち尽くしながらも、そういう自分と居られるようになることは、歳を取ること、生きることの可笑しさだと思う。

08.07(金)

・日記本を読むおもしろさについて、ふと考える。行間から自身の生活へと考えが広がっていくこと。そして、登場する本や映画、音楽、場所などを知って、それらを見てみようとなること。思えば、初めて読んだ日記本の、青木真兵、青木海青子『山學ノオト』には、生活に本があるというか、本の間に生活が挟まれているので、そこから色々な本を読むことになった。そういうことがおもしろさであるのだと思う。

・本は参与観察の場所なのだ。自身の立場を固定せず、でも流されるだけでもなく、こそっと見られる民主的な開かれた営みである。良し悪しじゃないって、少し前にそういうこと感じていたが、固定化して変えたくないのも気分悪いし、かといって流れに乗るだけも軽率だし、居ながら居ない、みたいな、その中で見続けることをしたいのだ。苦痛の緩和でもあり、生きのびる手段でもある。

・難波優輝『本とは何か』を読書会に向けて読み終わった。随分大きいテーマを掲げた本だったけど、大小さまざまな道を通りつつ、必ず広場には戻ってきてくれるような安心感のある批評が根底にある本だった。読書会でこうして話してみると、それぞれの本にまつわる話が出てきて、でもパーソナルすぎて遠いわけでもなく、言葉を出して、受け取ってのやりとりがあることで軽く運動したときのような爽快さがあった。本は高尚とは思わないし、でも本なんてたいしたことないとも思わない。血まみれの読書はしていたいし、これだけを読んでいたいという気持ちも味わっていたい。本だからこそというものが、そこにはある。本にまつわる話を、ジャッジするのではなく、淡々とたくさん聞かせてもらいたいなぁと思った。

08.08(土)

・よく寝て、よく食べて、よく話して、よく身体を動かすことだろうね。

・バランスの問題じゃないってことはたくさんありそう。

・思っていたよりも走る時間を伸ばせてうれしかった。

08.09(日)

・ZINEをつくるようになってから、書店や手元にあるZINEの装丁などをよく見るようになって、みんな装丁やデザインが素晴らしすぎないかと思う。というか、世の中に素晴らしい装丁のできる人なんて、5人ぐらいしかいないんじゃないかと思っていたが、こんなにたくさんいるのかという気持ち。

・「びんぼっちい(貧乏くさい)」という言葉があるんだと知った。

・ジム数日目なのに、高らかに身体を動かす良さを語っていた。人に話すことで、私は私が体を動かすときに何を感じているのかを言葉として捉えようとしている。今までもランニングなどはすぐに挫折したが、トレッドミルで走るのがこんなにも気分が良いとは。どこに向かうとか、行ったら帰ってくることを想定するとか、そういうことを考えずに、自身の呼吸や身体の動かし方に意識を向け続けられる、深呼吸するような感覚があるから、気分がいいのかもしれない。いつでも始められて、いつでもやめられるのもいいんだろう。