日記的雑記帳「カイエ」|2026.08.17-08.23

08.17(月)

・余白と運動をつくる。

・花束みたいなバジルをもらった。

・少しずつ自分を許している段階なのかもしれない。

08.18(火)

・同じ土俵で戦うな、という言葉を思い出していた。

・寝不足でしんどすぎたけど、ジムには行った。

08.19(水)

・なぜ書いているのかといえば、思いつきは一瞬の輝きであるからだろうな。その輝きは書かなければ、瞬く間にどこかへ行ってしまう。書きつけることで、いつかの自分が掘り起こせるようになる。それにどれだけ助けられたことか。

・今日のすべてを背負わなくていいと思う。

08.20(木)

・人はそれなりに色んな経験をしているわけで、そこを掘っていくよりも、そういう土台が各自にある上で、考えていることを話す方がおもしろいんじゃないかと思う。日々の生活とか、断片で考えたことを知りたい。日記的な話を聞いたり読んだりしていたい。

・経験を聞いても、大体へーすごいってなるものだし、どんどん目の前の人が遠くなっていき、さみしさのようなものが漂ってくる。私は今目の前でやりとりをしようと思っているのかもしれない。

・桃の切り方がいつも下手になってしまう。果汁まみれの桃は、それでも芳醇な味わいだった。

08.21(金)

・文化をつくることだと思った。環境を耕す、育てていくこと。

・お互い自明のことじゃなくて、話しながら発見していくような会話がしたい。仕事もそうかも。そういう仕事をしていたい。

・サン=テグジュペリの文章を読んでいて、涙が出そうになるぐらい美しく思った。

08.22(土)

・年は重ねるものじゃなくて、取るものである。手を伸ばして、むしろ取ってやるというようなもの。奪うのではなく、目の前にあったものを、物として取るということなのだろう。

・客商売って奥深いよなぁと思う。付かず離れず。

・真空性。静けさのある文章とよく表していたが、そういう静かに、深く、身体の中から痺れてくるような文章は、真空のような状態に包まれているのだと思った。誰だって書き始められるのだけど、私はやはり真空性を持つ文章、文体をいつだって読んでいたい。

08.23(日)

・まどろみながら、半分夢のような状態でZINEを追加で刷るかどうか検討していたような気がするが、スマホから爆音で地震のアラームが鳴り始めて、一気に目が覚めた。びっくりしすぎて状況が理解できなかった。「地震が今から来る」と通知が来て、一瞬揺れたが、寝ぼけている間に揺れたのか、これからまだ揺れが来るのかわからず、しばらく身体に力を入れたまま何もできなかった。地震よりもアラームが怖かった。結局、ほとんど眠れなかった。朝方に、家の中で熊二匹と暮らしてる人の話を聞く夢を見た気がする。音に敏感だからか、起きてからも、あのアラームの音と身体が痺れるような感覚が蘇ってきて、随分と苦しかった。iPhoneをぶん投げてしまいたい気分。地震にも、アラームの音を作った人にもむかむかした。そのためのアラームだとしても、無事だから言えるとしても、私の感情と感覚を損なってくるなと思ったことは、自身で消さないようにしていたかった。

・泣けるぐらい、日々生きている。だからこそ、須賀敦子に、サン=テグジュペリに感動できる。真空性を見出せる。文章への感覚は私が生きてきたもの自体である。それは誰にも奪われないのだと、はっきりわかった気がした。