日記的雑記帳「カイエ」|2025.10.06-10.12

10.06(月)

・日中暑かったので、まだ夏服が着られるからと夏の気分でいたが、夕方になると寒くはないが涼しくて、「夏が終わるんだ」と直感的に思った。もう夏服を着られなくなるのか。少しさみしい。

・セビージャ対FCバルセロナの試合を観る。見事な完敗だった。こういう日もある。日々の生活と同じだ。そう思うと清々しく思える。長い目で見ると、生きるうえでは浮き沈みはあるものだと最近思えていて、豊かなことだと思っている。試合で完敗したり、いろいろな味を試してみたが、結局は定番に戻ったり、イマイチな出来事の嫌ではなかった部分を探してみたり。必ず上がってくるとか、ポジティブ変換とかではなく、「幅がある」ということだけを、ぐわんと抱えようとしている。ときにその重さに耐えがたいこともあるが、幅があると知っておくだけで、息を吐き、沈殿して落ち着いていけると思える。

10.07(火)

・「栗はさつまいもっぽい」という話を聞いて混乱した。

・おばあちゃんとその家族らしき人の横を通ると、「若い人はモダンな格好をしてるねぇ」という声が聞こえた。なんだかその言い回しがツボだった。モダンな格好をしていたんだ。モダン、現代的。

・人々が過ぎ去っていく。生活の断片を聞くような感じ。

・いかに自身が大雑把に物事を認知していて、わかっているように思えてわかっていないかを実感するのだが、それでもいいかなと思っている。

10.08(水)

・さつまいもご飯を炊いた。レシピ通りに塩と酒のみでシンプルな味付けにした。炊き込みご飯は炊き上がりの匂いがいつも素晴らしい。ほくほく食べる。美味しいけど、「さつまいも」と「塩気の効いたご飯」が横並びに存在している感じで、「さつまいもご飯」として一緒にしなくても良いかもと思った。栗ご飯は「栗」と「ご飯」が調和しているような感動があった。さつまいもはまだ余っているので、次はみりんや醤油など入れてみようか。

・新しく始めてみたいプロジェクトの名前を考える。こういうのはしっくりくる名前が来ると進みやすい。

・ケアするだけが愛じゃないのかぁ。

・マーベルドラマ『ジェシカ・ジョーンズ』のシーズン1を見終わった。ジェシカに執着するヴィランのキルグレイブのムーブが気持ち悪すぎて、かなり気を張って構えるドラマだった。人を自在に洗脳できるのにストーキングに全振りする愚かさは、ある意味で人間らしかった。執着、異常とはなにか、気持ち悪い作品をわざわざ見ることなどを考えた。マーベルのザ・ディフェンダーズ・サーガは淀んだ色合いを保つシリーズばかりで、一定数好みな人はいるんだろうなと思う。

10.09(木)

・役割について考えた。傷付いたという主張によって、誰かを傷付けていることに無自覚である人がいた場合、自分は自身を点検するような人が好きだし、そういう役割を自身も担いたいと思っている。

・久しぶりにお酒を飲むと、美味すぎてたまらんと思う。簡単に依存しそうで怖い。

・「信頼はお腹が空く」という話を聞けたことだけでも嬉しいと思った。

10.10(金)

・写真作品をプリントしたTシャツの試作品、仕上がりはいまひとつだと思ったが、試しに1日着てみると、案外悪くなかった。着ていて楽しかったし、プリントTシャツを楽しめるようになると、服の幅が広がって楽しいだろうなと思う。

・歯が少なくてギャンブルと酒好きのじいさんと話す機会があり、「俺よぉ、詩ぃ書くんだぜ」と言われたとき、正直めちゃくちゃ意外だと思ってしまった。文章とか書くんだ、書けるんだみたいな。すまんね。先日、手帳類図書館に行ったときにも思ったが、文章を書くということは、わざわざ文章を書こうとする一部のもの好きだけのものではなく、万人に開かれた極めて開かれた営みなのだと思った。書くことって幅があるということで、自分は好きな文体というものを強く持っているが、だからといって、好みではない文体であっても、誰かが書くこと自体を否定したくはない。人への印象もそうだ。歯がない、ギャンブル好き、酒臭い、こういった要素で判断したくなるものだし、ある意味でそうしてしまうことも自然であると思う。なぜなら、自分はそういう要素を持った人との接点が少ない。知らないからだ。だけど、人間が抱えているものには幅があると構えておくと、意外なものが見えたりする。その発見を自分は好きである。とはいえ、流石に疲れたし、また喋るのはもういいかなとも思う。人を判断したくなる自分を消そうとはしないし、その上で簡単に判断してしまうことへの抗いも同時に自身の中に抱えている。

・「推進力があるよね」を「精神力があるよね」と聞き間違えて、精神力があるなんて初めて言われたから爆笑してしまった。でも、そうだな、良いと思ったものは進めていきたいし、そういうことが自身の役割でもあるのかなと思っている。

10.11(土)

・やってみたいことをできることに変えていく作業をこれからやりたいね。

・無様であること。初めてのことにはそれらが伴うが、悪いことではないのだと思えた。

・「話せばわかる」と思っている節がある。ただ、それは相手の言っていることを完全に理解できるということではなく、ある程度話を聞けば、自分が納得できる形で相手の言葉を受け取れる準備が整う可能性が高まる、ということなのかもしれない。嫌であっても、同意できなくても、「受け取る」とは相手の話を理解することではなく、「そういう思いで言っていたのか」と感じることである。自分側で決める、納得できるところを用意しておけば、たぶん大丈夫なんだろう。

10.12(日)

・誰かは忘れてしまったが、3人でバイクで移動している夢を見た。警察がいたので捕まるかと思ったが、こちらを気にも留めず去っていったので安心した。今の自分にはたくさんやりたいことがあって、それを信じられている状態なのかもしれない。

・サイアノタイプをやってみたが、印刷や感光剤など諸々失敗した。初回だしな。また次回やり直してみようと思う。

・自分がどのようなポッドキャストやラジオを好むかというと、文章において好きな文体があるように、どうやらその人たちの言い回しや言葉に魅力を感じているようだ。本を読むように聴いているところがある。

・非喫煙者同士で、自分たちがたばこを吸い始めたらどうなるかを話した。夜、キッチンの換気扇の下で、そこだけ灯りを点け、文庫本を片手にため息混じりに一服する。あるいは、深夜のコンビニの駐車場、ポールにもたれながら空に向かって煙を吐く。そういう妄想を話し合った。多分、始めることはない。