10.13(月)
・おそらく人生で初めてペンキ塗りをする。覚悟していたが、意外と飛び散らなかった。無心でローラーを動かしていく時間が心地よかった。休憩で近くのドラッグストアでジュースを買った。品出し直後だったのか、あらゆる商品がみっちりと並べられていて、なんだかテンションが上がった。また戻って二回目を塗っていく。この場所がどうなっていくのだろうと少し想像したりしてみた。ほどよい疲れで満足。
・いくつかの街を散策したが、お店の残骸をたくさん見かけた。日焼けして読めなくなった看板。植物に覆われている建物。こうして見ると、少し前の社会ではたくさんの人が自営で商売をしていたんだなぁと思う。会社に勤めるという文化は、本来は新しいものであるんだろう。最近、お店や無店舗で商売をしている人たちと会う機会が増えた。物をつくる、または仕入れて売るということをもっと知ってみたいと思い始めた。個人で活動しているということ自体になんだか良いなと思うし、そういうことが生活に混ざり合うことは豊かであるとも思う。
・かくれんぼパブリッシング『生 = 創 × 稼 × 暮』を読み終わった。まさに今の関心に触れる話で、読めて良かった。創る、稼ぐ、暮らすことのバランスを取るといっても、当然なのだが、その捉え方は全く異なるものであるし、社会が決めることではなく、どうか本人が自身で決められることだと思えるような社会であってほしいとも思う。ひとり出版社の本でハードカバーかつ装丁の綺麗な本だったので、形になるまでどのような積み重ねがあったのだろうと聞いてみたい気がした。
・最近、社会が楽しい。生活で豊かに思えることが増えた。

10.14(火)
・社会を楽しめているからこそ、栗ご飯を美味しく食べられるのかもしれない。季節という記号をおもしろく思えるのは、立派な社会であるから。だからこそ、栗ご飯をわざわざ食べようとしないことに豊かさを覚えていたい。
・またリングを落としてしまった。運良く拾ってもらって、このご恩をどう返していくのか考えた。ほんとに自分は何かを落としてもほとんど返ってくるなと思う。運をそこに使っているのだろうか。指がむくむのは嫌だが、リングはフィットするようになる。今は指の調子が良くて、リングが緩くなっている。ままならない。人間やってるなと思う。
・寝具を秋冬用に入れ替える。信頼のニトリのNウォームダブルスーパー。見た目がひどいと言われたが、自分は暖房費が怖いので機能性を取りたい。長袖も着てしまった。今から寒がっていたら冬を越せないんじゃないかと思って、まだまだ半袖でいたけど、流石に寒かった。寒さを受け入れ難かったが、思い直すと、秋の装いを存分に楽しんで、冬が来たらそのときの装いを楽しめば良いのではないか。不安から先の予防をしていく思考は楽しくない。

10.15(水)
・たった一節の文章を読んで、ふっと書きたくなることがある。
・不機嫌って無限湧きするウイルスみたいなもので、すぐに他者に伝染していくよなと思う。ある程度の抗体は作っておけるとしても、誰かが心の中でいつまでも生み出し続けているとき、抗体で伝染を予防するだけでいいのだろうかと思うときがある。
・能力とは環境の差異によって、そこが目立つだけで、場所を変えれば引っ込みもするものなんだろう。まあ、その場所で伸びているように見えるものは使っていけばいいんじゃないか。囚われる必要もない上で。
・家に植物が徐々に増えてきている。大変よろしい。
・最近、小説があまり読めなくなったなぁと思う。人文書ばかり読んでいる。日記本やエッセイ、漫画なども好んで読んでいる。小説が読めないっていうよりも、自分は日常の発見を愛していて、それらがたまたま人文書や日記本、エッセイ、漫画などと重なる部分があるから優先的に読んでいる、という感じだろうか。

10.16(木)
・どこか他人事にすることの大切さ。
・おじいちゃんおばあちゃんって、ほんとに文脈がなくておもろいな。
・長い目で見ること。チャップリンの悲劇と喜劇の話を思い出す。
・まぁ全体的にはいいよねと思えたらいいんじゃないかと思う。

10.17(金)
・秋晴れで気持ちが良い。洗濯をしたくなる季節。
・心を開く、距離感ってなんなのだろう。
・たまに「あなたはこういう部分が人とは違っていて、だからこそ良い」と言われたり、言われている人を見たりするが、全くもって嬉しくないよなぁと思う。「普通が設定されている上での外れ値として良い」という見方は、なぜそれを「普通」として捉えているのか疑問に思えてならない。外れ値としてのいいねは要らない。
・睡眠界隈というものがあるらしい。全人類が睡眠界隈だ。
・「歯なしじいさん」と呼ぶなら、「歯ありじいさん」とも呼べる。ディストピアの世界線ではあらゆる場所に配慮した結果、「◯◯さんという方がいて〜、あっ歯は生えている方なんですけど」みたいな情報を毎回言わなくてはならなくなるのかもしれない。歯ありの友人と喋って楽しかった。

10.18(土)
・最近思うのは、どう持続的であるかということ。持続的に作り続けることに、生きることがあると思っている。
・ZINEの原稿がほぼ完成した。数本エッセイを書いて、あとは装丁や印刷の部分。あとちょっとだけど、ちょっとじゃない。
・書店を見ていて、本の装丁が気になるようになってきた。まさに今の関心どころ。ずっと電子書籍派で、紙の本が良いなど全く思わなかったのだが、こうして本作りを始めてみると、初めて紙の本も良いなと思えた。自分はとにかく文字を読んでいたいからこそ、電子書籍が合っていると引き続き思うのだけど、気に入るものも、そうでないものも、わりと等しく本という紙媒体を丸ごと楽しめるようになってきて、豊かなことだと思った。
・素材と環境。
・商売において、「売れるため、ひいては食っていくため」と簡単に言い切る妄信的態度は本質的ではないと思うが、そう言いたくなる内側にあるのは、どのように続けていくのかというところだったんだろうな。ようやく商売に対して腑に落ち始めたかもしれない。そういう文脈だったら、受け取れるものもある。でも、「食うために」だけではありたくない気持ちは持っておきたい。
・「どのようにやっていくか」だとわからなすぎる。問いの立て方が良くない。やはり、今既に持っているものを軸に、ではそれらがどこからやってきて、そこにはどのような思いが滞留しているのか、存在を不在にしない視点はそこに活きるんじゃないかと思った。

10.19(日)
・FCバルセロナ対ジローナの試合は、普段CBのディフェンダーであるアラウホがCFでフォワードをやらされていて、最後の最後に点を決めて勝ち切った。戦術アラウホだった。
・近所の豆腐屋で買った豆腐が美味しすぎた。そういう経済圏が周りにある生活が楽しい。
・応援も兼ねて買い物をする、という気持ちになれることが増えてきた。それを続けてみたいと思いつつ、自分はもう十分応援しているのではないかと思った。生活をするだけで、いろいろな方面にお金を支払いまくる。それは誰かがそのお金で生きていることだ。お金を払うってそうだろう。だからこそ、自分にそういうルートを用意してもいいだろうと思えた。自分が生きているだけで、誰かが生きていられるのだ。
