10.20(月)
・杖をついているおじいちゃんでも、自転車に乗れることがわかった。三輪の自転車ではあったが、あれは人類の希望だ。
・意見が違っても敵にならないというのは大事なことだ。嫌だなと思ったら、その気持ちを抱えつつ、それが仮固定であることも保っておきたい。
・「この時点で指摘をすると潰れてしまうかもしれない」というときは、全否定をしないようにするし、たとえ真摯に「批評」しようと思っていても、時期を考えたりする。だけど、その時点を過ぎたときにしれっと伝えるというのはある。
・夜に「どうしてわざわざZINEにして売るのか」という話になり、自分も改めて考えられたのが良かった。日記本という小さくて狭いジャンル。自分が作ったとして、誰が読むのだろうと思わなくもない。でもきっとそういう見方をしていない。自分がたまたま日記的な雑記という素材を持っていたからこそ、本(ZINE)を自ら作ってみたかったのがまずある。そこから始まって、最近はわざわざ売ってみたいと思っている。お金は欲しいけど、稼ぐためというよりは、お金を噛ませたやり取りを「わざわざ」してみたら、どういうことを感じるのか実験してみたいという気持ちなのだと思う。

10.21(火)
・進めたいことが山ほどあるとき、行ったり来たりすることへの抵抗感があった。一つの物事に集中した方が、その時間に進む量は多くなると思っていた。だけど、そうやってしがみつくようになることで、気力が失われたり、思いつきが鈍ったりすることもあった。というか、最近はそんな時間が多すぎた。だったら、思うがままに行ったり来たりして、そのとき波が来て熱を持てるものに取り組むほうがいい。総量ではなく、「なんだかいい感じ」という気分を保ったまま、物事に手をつけられる気がした。
・ZINEの装丁に悩む。納得のいくものである上で、接点のない人にも手に取ってもらえるようなデザインにしたい。
・自室に置いたディフェンバキアが、そんなに倒れなくてもというぐらい、ぐったりと萎びていた。もう無理かもと思いつつ、土が乾いていたので水をあげると、夜にはすっかり真っ直ぐ伸びていた。すまんかった。それにしても、植物も動くということに今だに驚いている。

10.22(水)
・急に寒すぎる。だが、寒かったら着込める服や暖房器具を揃えればいい。当然のように思えるが、移動生活をしていたときは、季節物を増やすという選択肢が自然となくなっていた。電気代が別料金で徴収されない場所を選ぶことで、物を増やせない分は暖房や冷房に任せる生活をするようになる。定住すると、そうではなくなる。そういう変化がおもしろい。物を増やせるってすごいことなのだ。
・夜にリビングのカーテンを閉めようとして、パキラの入った植木鉢を床に落としてしまった。植木鉢は真っ二つに割れ、カーペットは土だらけになり、生い茂った葉っぱと対照的にほっそりとした根っこの、いきなり裸にされて驚いたようなパキラがそばに転がっていた。ため息が出た。こういうときは、さすがにパキラを落とさなかった世界線へ行きたいと強く思う。先に買い物を済ませて、腹を満たしてから掃除をして、新しい植木鉢に植え替えた。あのほっそりとしたパキラの根っこが、いつまでも目に焼きついている。
・なんだか余計なことを言いすぎたような場面があり、落ち着かなかった。というより、自身でどのように受け止めるのか戸惑っていた。以前からずっと抱えていた、言葉にすらできない苦しみを久々に思い出した気がした。おそらく、ここ最近の自分には気付かぬうちに滞留していた傷、加害されたような気持ちがあったのかもしれない。なめらかに言葉を作り出し続ける場面を日々浴びると、ならされた真っ平らな世界を見せられ続けるようで、さらにはそれこそが本質であるかのように強いられることの苦しみがある。こちらの身体を先回りして代弁してくるような、言葉を奪ってくるような態度は到底受け入れられない。今日の場面というよりも、その根本的な事柄に声を上げたかったのだろう。私は何かを選ばなかったとしても、その選ばなかった、選べなかったことを抱いて、その不在の世界の先にある痕跡をたどって、立派に生きてみようと思っている。そう改めて思えた。

10.23(木)
・調子を整えるのが難しかった。リセット願望というものが少しわかった気がした。でも、関わりのある人たちに、せめて応答しようとしてみて、なんとか気持ちが落ち着いてきた。
・夢の中で学校にいて、クラスの課題で「個人のポッドキャストを作ってみよう」というものを提示された。自分は人とポッドキャストをすることは好きだが、ひとりでやりたくはないと現実では思っているからか、課題で無理やり作らされるのが嫌で少し抵抗していた。だが、「まぁやってみてすぐに消せばいいか」と納得してやることにしていた。どんな夢だ。今の自分はどんな状態なのか。
・エッセンシャルワーカーでいることとはどういうことなのか考えてみたい。

10.24(金)
・悪口は最上の飲み物であるという話。それらを口に出さずに飲み込む、飲み物として捉える見方もあるのだなぁと思った。
・冬服でいい感じに気の抜けた服装が定まっておらず、適当な服で買い物や用事に出掛けていると気が滅入るとわかった。近場でも、好きで納得感のある服装を作っておきたい。
・毎日暖房をつけたい誘惑と戦っている。

10.25(土)
・ZINEの原稿が進まず、装丁の方針もなかなか定まらなくて、推進力が減ってきている。向き合う時間を増やしたい。
・コンタクトプリントという方法があるようだ。やってみたい。
・そういう時期は逃してしまったけど、今からできることをやってみようと話せることもまた尊いなと思った。

10.26(日)
・何かを選び、新たなY字路へとやってくる。そこにまた発見を見出す。そういう繰り返しだと思っている。だから、「あぁ、さっきのY字路で違う道に行っていたらなぁ」と思うことは当然あるけれど、来た道、来てしまった道でやっていきたいのだ。
・簡単に「応援」とか言ってんじゃねぇよと、ふつふつとした気持ちを抱えるような出来事が少し前にあった。そんな余裕がない状況の人はいる。人が社会という枠組みで生きていくだけで、他者を生かすことになる。それはあなたの存在自体が、他者を応援している状態であると言えると思う。あえて「応援」という言葉を使うのならば、そういうことだと思う。だからこそ、つらくても、余裕がなくても、手に取れるようなもの、いられるような場所を作っておくことが、自身が持っているものを点検もしないで「応援せよ」と言うだけよりも大事なことなんじゃないか。
・人生には波がある。どっちかにしない。強弱では語らない。ふうっと切り替えて、いい日になると思ってみる。そういうことを最近は思っている。
・レアル・マドリード対FCバルセロナのクラシコをライブ配信で観る。アウェイ戦。マドリードは審判の買収をいつものようにしているが、それにしてもバルサの完敗だった。一昨シーズンまでの弱さにまた戻っている。怪我人が多すぎるが、そういう問題でもないのかもしれない。イニゴ・マルティネスがいないとハイライン戦法は無理だったのだろうか。フットボールは待つこと、長い目で観ることだろうと実感した。バルサはまた復調してほしい。
