01.26(月)
・散歩って、好きなようで、そんなに好きではないのかもしれない。ただ、夕方を過ぎて暗くなってくる頃、民家の灯りが薄く照らされていくのが次第にわかってくる時間は、歩いていて楽しいなと思う。
・最近は道ゆくおばあちゃんのファッションが気になる。意外とおばあちゃんから衣類を引き継いだみたいな話を聞いたりするのだけど、その人に馴染んでいることが多い。でもそれをおばあちゃんが着ると、おばあちゃんとして完成する感じがある。何がおばあちゃんを構成しているのだろうか。
・何かをしないでおこうと決めてみるのは、スーパーまでのいつもの道を少し変えてみようという試みに近いのだと思った。
・編集とは光の当て方であって、やはり良し悪しはないんじゃないかなぁと思った。
・鍋をやろうと集まるのが友情であったりするのだろうか。

01.27(火)
・朝の時間を大事にしたい。必ずしも朝食は先に食べなくてもいいのかもしれない。
・現象に対しておもしろいと思うことはあるが、それは全身で賛同することとは異なる、ということな気がする。
・拠点を構える。手放す。それらもどんな状態かによるよね。
・枕ぐらいの切り干し大根をもらった。

01.28(水)
・もらった大量の切り干し大根をさらにお裾分けした。
・玉ねぎを切っていると、包丁が滑って指に刃が向かってしまい、爪が欠けた。思わず固まってしまった。だが、刃は肉に達しなかったようで、血は出なかった。爪が守ってくれた感じがある。あとから爪を研いだ。
・本を読むときは、自分がどのように世界を見たいのかを投影している感覚がある。だが、そういったことを話すとき、最近は伝わらなさばかりが頭に残るようになっていて、もったいないし、かなしいなと思う。意見の主張ではなく、どのような過程で何を思ったのかを受け取り合いたいし、同時に今の自分はあまり受け取る状態ではなかったのかもしれない。だからこそ、かなしい。
・苦しさがあった。文字は救いだと思った。こういうときに読みたい文章ってどういうものなのか、まだ言葉にできない。

01.29(木)
・敬意を持てないことがつらい。
・セルフ・コンパッションだよなぁと。以前友人に言ってもらってお守りのようにしている言葉を思い出した。

01.30(金)
・どうやらカレーを豆腐にかけるつもりのようだ。
・時間が決まっているとき、ギリギリまで準備をせずに焦って大後悔、というのがよくあった。けれど、早めに動いて残った時間でゆっくりする方が、断然気持ちが落ち着くことを引き続き確認できた。
・自分にとっては、人間はそもそもしょうもないと思っていることが、むしろ希望なのだと思った。

01.31(土)
・待ち時間に本を読んでいると、周囲の人々の会話が耳に入ってきた。愚痴や噂話、そういったものは本当に多いのだなぁと思った。それらをジャッジせずに、ただただ音として聞いていた。
・たとえば、「写真をやっている」と言うと、「いいですね。私には写真の才能がないから」と言われることが割とある。だが、話を聞いてみると、誰かと比較することが当然だと思い込んでいたり、そもそも続けてみようと思っていなかったりするようだった。そういう話を聞くと、なんだか悲しくなる。ものを作ったり、作品に痺れるほど感動したり、続けることの苦悩を真摯に考えてみたりするのは、自分にとっては豊かなことだ。誰にだって、いつだって再開できるものだと思っていたいし、できたら「そう思ってもいいんですよ」と少しだけお節介をしてみたい。
・ドストエフスキー『罪と罰』をついに読み切った。まずは読み終えられたことが素直に嬉しい。ほんとに序盤は苦しすぎた。新潮文庫版だと登場人物の表記が会話ごとに揺れたりして、誰が誰なのか全く分からず、こんなの読めないと思った。だけど、段々耐性がついてきた。文字を追うことにもリズムがあるのだなぁと確認するような読書体験だった。最後は愛で終わるのか。こういうさわやかな終わりなんだと、そこがびっくりした。これはあえて「さわやか」だと簡潔に表してしまいたいものだった。久しぶりにお酒が飲みたくなった。

02.01(日)
・色々抱えすぎたまま、1月が終わった。何もかも永遠に終わらないような気がする。だけど、全部に手はつけられないにしても、毎日少しずつやっていけば、必ずいつか終わる。習慣の効用を信じたい。合間に、気になりつつ放置していた庭に生えてきた頑丈な草を抜いた。白みがかった太い幹だった。雑草と格闘すると、秩序と逸脱ということを考える。秩序を保とうとしすぎず、かといって整えようとはせずにいるのは逸脱ではなくなる。
・リアルかフィクションかではなく、あらゆるものは想像から始まっているのではと考えてみると、やはり「何をもって真実とするのか」を点検せずに物事を見ていたくないなぁと思う。
・都内との距離ばかり気にしていたが、意外と長野に近いと気付き、たまに行ってみたいなと思った。いまだに家があって定住していることの豊かさを体感している。
・その人にも発見にまみれた日常があると思っていたい。
