03.16(月)
・短い夢を連発して見る。起床直後にできるだけ覚えている内容を書き出す。日本人は夢の中でそれが夢だと気付く割合が多いと聞いたことはあるが、毎度絶対に夢だと気付かない。書き出してみると、夢のエキセントリックさに気付くし、人が小説や物語を書けるのも納得だなと思う。どこから来たんだという発想ばかりでおもしろい。
・英語は半端に喋れてしまうからこそ、平行線のような気がしてきた。何も知らないつもりになって、最初から学んでいく方が、楽しく上達もするだろうか。
・APIというものを試してみる。バイブコーディングというか、AIとやりとりしたコードを入力していくだけだが、好きに設計できて、それが実装されるのはシンプルにたのしかった。こういう気持ち、覚えておきたいなと思った。

03.17(火)
・大型スーパーで探していたものを見つける。美術館みたいな施設の奥のほうから外に出ると、昔は海だったのに、今は埋め立て地になっていると誰かに教えてもらい、そこを見上げると崖の上に巨大な古いマンションや変な形の家が建っていた。自分は猫になっていて、クッパみたいな生物に見つからないように外から建物の中へ侵入する手立てを考えている。そんな夢を見た。
・つくるたのしさというか、好きに設計できて、作ったものが動いたり、できたものを眺めたりするのが好きなのかもしれない。作ること自体への喜びではなさそう。実践的というのは結果を見つめる行為なのかもしれないけど、過程まで含めて実践的であることが好きだというのは、結果だけを見ているのとはまた違うのだろうと思った。
・カラーピーマンが売っていたので買ってみた。パプリカとの違いがわからない。尻みたいな口をしている恐竜が三体並んでいるパッケージだった。全体的にワードアートみたいなセンスのデザインで平成を感じて惹かれた。

03.18(水)
・生成AIに「出力する前に内部で検証を重ねて」みたいな指示をしているので、いつも回答までに数分かかっている。煩わしさもあるのだが、精度の高さを求める代わりに、生成AIには待つことを求められる。すっかり古くなってしまったPCが重苦しいファンを回転させる中、その数分の時間に積読している紙の本を読むようになった。その読書体験は数分で途切れてしまうのだけど、そういった断片的な読書は意外と悪くないのだと気付いた。
・笑いすぎて頭の皮膚がつりそうな感じになった。

03.19(木)
・重いものを抱え続けて、今年まだなんにもしていないような気分になったりするが、暮らし、そうだ、立派に暮らしている、何よりじゃないかと思った。
・店に来たおばあちゃんが何を言っているのか一言もわからなくて、でも笑顔で笑い話をしている様子だったから、「アッハッハ〜ですね〜」と受け流していたが、そんな自分を外から眺めていると、サンドウィッチマンの「ちょっと何言ってるかわからない」状態だなぁと思えて、おもしろかった。

03.20(金)
・語り口よりは配列、熱量よりは呼吸。
・空き家の室外機の上にみかんがお供えしてあった。
・すれ違ったおばあちゃん同士が、「今日10曲ぐらい歌ったね」と話していた。

03.21(土)
・抵抗を続けること。それは反抗するのとは違う。流れの中で向きを変えようとする小さな運動のことだ。
・ティム・インゴルドが好きな人がいて、うれしかった。
・もはや開発をしている。プロンプトを打ち、ソファに寝転がってAIによる構築を待ち、何度も出てくる権限の許可を押して、また寝転がる。人間がこれでいいのかと思う前に、とにかく実装と点検を繰り返して進めていく。

03.22(日)
・AIへの依頼で、一方的に「こうして」だとなかなか精度が上がらないようだ。「できない」で終わることを恐れすぎていたけど、むしろつまずいている箇所を聞いて、指摘していく方が精度が上がるのかもしれない。つまり、対話して進めていくこと。依頼をする、初期案が返ってくる、レビューをしつつできなかったところがなぜなのかを聞いてみる、その返しを元に補う情報を渡す、そういう繰り返しかもしれない。
・焼きたてのクリームパンをもらった。「いつもお世話になっているから」と言われたが、「ただ楽しく喋ってもらっているだけなんだけどなぁ」と思った。「あげよう」と思ってもらえたことが、うれしかった。
・バルセロナ対ラージョ戦を見る。何度見ても、フットボールというスポーツはおもしろいなぁと感心している。ペドリのプレーは、全くフットボールを見ない人が見ても感動するんじゃないか。ジョアン・ガルシアのおかげで無失点だったが、並のキーパーなら失点していただろうから、勝ったけどふわふわした感触は残った。
