05.04(月)
・習慣を変えると、変わったこと自体に心地よさがあるなと思う。
・食事と身体を動かすことの習慣を見直してみた。何かのためというよりも、自身の身体の輪郭を意識する、儀式、作法として続ける方がやっていけそうな気がした。

05.05(火)
・濃い緑に黄色のラインが入った帽子は、なんだかヤマトの柄に見える。
・道に放り出された感覚。自分の力で立つことは大変だ。
・愉快だなぁという姿を見せてもらう。

05.06(水)
・外でカラスたちが1時間以上喋っていて、うるさくて早く起きた。
・習慣を続けられる方だと思っていたけど、よく考えてみると、今までも小さな挫折をたくさんしてきた。だから、続けられる前提で考えていたけど、習慣はなかなか続けられないものとして捉える方が、素直にやってみようと思えそう。
・手を伸ばしてもらうことを愛だと思いすぎていた気がした。

05.07(木)
・なりきる。それは演技じゃなくて、自分自身になりきる。
・ラランドが『ツキの兎』で音声読み上げでラジオをしていて、おもしろすぎた。
・写真を撮ることの暴力性。カメラを持つことの権威性。
・自身の可能性を閉じていくこと、諦めるということはむしろこれからしていった方がいいなと思った。諦めて手放す。その分できることが絞れてくるはず。ただ、可能性を閉じるのは、変容しない未来に固定することではないのだと思っている。

05.08(金)
・手帳類図書室へ行ってきた。2回目。知らない誰かの手帳に書かれている文章を読むと、少なからず私は読まれることを想定して日記を書いているんだなと思う。意味が通るように書き直しているもの。良し悪しではなく、今の自分にはこういう書き方を持ち合わせているという感じがしている。日々の無数の文章から一部を編んで、ここに載せる。落とされる文章も無数にある。だが、どちらが本当なのか、という見方はしていない。そんなことをしても、書くことはそのような境界すらも超えていくものであるから、自身が今持っているものとして書き続ける、そして編み続ける、という責任を持つだけなんだと思う。ここへ行く度に、書くことはカオスで捉えきれないものなのだと実感する。私の中で固まっていた部分の変容を迫られる。でもそれは、書くことを枠に閉じ込めようとしなくて済むかもしれないという希望でもあるなと確かに思う。
・自分で決める、考えるということが、むしろますます増えてくるんだろう。
・怠惰を受け入れたと思っていた。だが、怠惰はしっかりと身を滅ぼす気がしていて、やっぱり対策した方がいいかもしれないと思い始めた。

05.09(土)
・通りすがりの神社の境内に視線を移すと、ニワトリが3羽ほど飼われていた。
・Google Mapsのレビューを盲信しているために、評価4.0以下は警戒するか、行かないという選択を取るのだが、評価3.3でも躊躇がないと聞いて、たいそうな探検家だと思ったし、意外と世界は探検可能なのかもしれないとも思った。
・リズムがある文章を読むと、ふつふつした気持ちになる。こういうふつふつとした感覚。そういうことをしていたい。
・帰宅後、風呂が沸くまでベットのシーツの上で本を読んだ。普段はそんなことはしない。風呂に入って、環境を整えてからソファで読んだりする。そして眠くなるまでベッドに入らないようにする。だが、環境を整える前に、いつだって本は読めるのだと今さらのように気付いた。今日は探検に連れ出してもらった気分だった。

05.10(日)
・リズムがある文章には、ホスピタリティ性のようなものを感じる。活字の中に入り込めるための灯台として、光がくるくると回り続けるような役割を担ってくれる文章にはリズムがある。
・諦める、手放すって、意外とこんなに楽なのかと。無理しないということじゃないんだよなぁ。できないことを焦らないみたいな感じだ。
