日記的雑記帳「カイエ」|2026.09.28-10.04

09.28(月)

・しっくりくるものが来ると信じることか。

・サン=テグジュペリ『戦う操縦士』を読み終わった。戦争小説なのかとよく知らないまま読み始めたが、「私」が偵察飛行任務の無意味さを説き始め、そこから生きること、死ぬこと、人間的であることまで、そもそもを問い続けるような、小説という形なのだけど、『人間の大地』と続いているような物語であった。「どのような状況に置かれたところで、それまでまったく考えもしなかった異質な人間がわれわれの内に目覚めることなどない。生きるとは、時間をかけて徐々に生まれ出ることだ。あらかじめ完成している魂を、その場に応じて適宜借用することができたりしたら、それはいささか安直すぎるというものだろう」本の中で、生きるとはという語り口が出てくると嬉しくなることがあって、その後に続く言葉への共感というよりも、人が生きてきた螺旋、抱えている孤独を少しだけひらいて置いてくれたような、そういった感じで、共に生きる者として讃えたくなるからだと思う。

09.29(火)

・夜中にまた地震。最近多いなぁ。ガタガタされると、どうしても怖いから腹が立つような気分になる。

・少しひらくことに対する不安。今日は不安に思うことが多い日だった。

09.30(水)

・独立系書店の取り扱う書籍が大体似ているという話。確かにそれで行かなくなった書店はたくさんあるのだけど、実際に仕入れを考え始めてみると、仕組み上そうなりやすいのはあると思った。あとは、そもそも書店に求めすぎていた気がする。書店を渡り歩き、電子書籍という選択肢も持っているから、そう感じるのであって、本にあまり接点がない人からすれば、意外な本に出会える貴重な場になっているのかも。同時に、あなただから、ここだから買うというお店であることだろうなとも思う。

・思うように言葉が出てこない感覚があり、さみしさを感じた。事業、事業、事業という日々で、道を探し続けることは発見も多いのだけど、その後遺症であるような気がした。私は私の感情にだけ責任を持つと決めているけれど、最近は自分に聞くことを蔑ろにしているのだろうか。働くという営みに対しては、命懸けでありながら片手間でありたいと思っていて、それをもう一度思い出したい。

・人間の関係が豊かなことであると思えるほど、開拓して生きていきたいものだね。

10.01(木)

・長らくオーディオブックが苦手だった。本は内容が把握できれば良いわけではなくて、文字を読むという行為が私にとっては大切だからだ。普段ジムではポッドキャストを聴いているが、どのお気に入りの番組も最新エピソードはすぐに聴いてしまう。聴くものに困っていたところ、本は文字で読みたい私だが、オーディオブックはどうだろうかと思いついた。聴いてみると、ジムで走っているときにちょうど良かった。確かにじっくり読みたい本には向かないが、なんとなく内容を知りたい本とか、読んでみたいと思いつつ、なかなか優先度が上がらなかった本とか、読んでしまった小説とかを聴くのには良さそうだ。こうした自身の固まった部分が解けて発見を伴うとき、豊かだなと思う。

・団地の横を通ると、中学生の集団が屋根に乗ってはしゃいでいた。あまり見ない光景で、おもしろかった。

・食後にジムへ行ってみると、とても動けるものではなかった。帰ってきてからもへろへろであった。

10.02(金)

・窓を開けると、入ってくる風が気持ちよかった。昨日の影響か、身体がへろへろすぎる。寝不足でもある。結構なしんどさを感じていた。星野道夫『旅をする木』を読む。「人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう」。浅さによって生きていることか。へろへろの状態で外を歩いてみると、めっちゃ秋だなぁという気候で嬉しくなった。季節が変わると空気が変わったと感じるのは、おもしろいなと思う。

10.03(土)

・妙にせかせかとしている。細々としたことを抱えている不快さが漂っている。秋という季節がそうさせるのだろうか。短い夏が過ぎ、厳しい冬が来る、その前に、というような感覚に陥っているのか。夜に洗濯物を仕舞う。開いた窓の外から、虫の声が聴こえる。誰かがスーツケースをゴロゴロさせながら通り過ぎていった。この部屋は隣の寝室の窓から聴こえる音が違うのだと気付いた。ゆらめくカーテンを見ながら扉を閉めた。

・腕の筋肉がついてきたと報告していると、肘がこう、L字みたいになっているよと言われて、腕ってそういうものでしょうと笑っていたが、帰ってきて鏡で見てみると、確かにそういう形に筋が発達してきていた。これを言っていたのかと納得した。こういうことがあると、言葉の持つおかしさ、美しさを感じられておもしろいと思える。

10.04(日)

・AIって魔法なのだろうか。子どもの頃、ホグワーツがあってほしいと思っていたが、それは自分だけではできないことを魔法が代替してくれているように思っていたからだろうか。魔法的であるって、しっかり考えたことがないけれど、考えてみると実はおもしろいのかもしれない。

・サンライズという寝台列車があったと思い出して、予約してみようか、絶対シングルデラックスだなと思って調べたら、余裕で売り切れだった。とても人気で、そんなふらっと取れるものじゃなかった。必ずいつか乗るぞと思えたのが良かった。

・ドラマ『シェイムレス』を観続けている。口が上手いフランクの常套手段を見ていると、ムカつくときも多い。だが、どこか納得してしまうところがあるのは、彼は生きのびるためなら何だってやる、という普遍性をくすぐる存在であるからだと思う。機能不全家族と表すことに終始していない。ただの粗暴な人間として描かれていたら、普遍性を感じられない。人間としての自己破壊、依存、衝動、そういった絶望的な状態に対して、どこか人生の可笑しみを覚える瞬間を描いているドラマだなと思う。やめたらいいでやめられるものではない。バランスを崩しても人生は続く。落下したら終わりだと思っても終わらない。終われないのだ。地面にうずくまり、ひと通り喚いたあと、そこからとぼとぼと歩き始めるときが必ず来るのだ。