日記的雑記帳「カイエ」|2026.05.11-05.17

05.11(月)

・バルセロナ対レアル・マドリードのクラシコを観る。無事にクラシコでリーグ優勝が決まった。レアルは歯応えがなかった。シーズン途中には失速もしたけど、しっかり持ち直せるところがフリックバルサの強さだなと思う。もう15年近く試合を観続けているが、変化を観測するおもしろさは色褐せないなと思う。

・理性への信仰ってある。とある概念があったとして、その達成を人の理性に任せようとすること。民主主義もそうだが、そうなるときに、理性任せではない領域まで探るという方が納得できる。AIによって、むしろ自分で考えて自分で決めることに直面させられることが増えた気がしていて(つまりAIの精度が上がるほど、自分の中の「どうして」を引っ張り出されるから)、それはなかなかに疲れる。そんな疲れることを全員やろうなどと言うのは、方向性が違うのではないかと思う。

・ジョーン・G・ロビンソン『思い出のマーニー』を読み終わった。マーニーを通して、アンナが自身の孤独の形に触れて、受け入れていくプロセスが描かれている話だと思った。確かにそう思ったのだけど、なんだかそういうふうに「こういう物語である」と、どうしてもまとめる言葉を探そうとしてしまうこと、そういう枠で物語を見ようとすることに、モヤモヤとしていた。そういう枠にまとめきれない話であるのにね。ジブリでは最も好きな作品で、そういう人は自分以外に聞いたことがない作品ではあるけれど、原作を読んでみて、やっぱりなんだか好きだと思った。どうしてかはわからないのが、また良いなと思った。

05.12(火)

・梅仕事がしてみたい。梅シロップを作ろうとスーパーへ行ったが、まだ青梅は売っていなかった。5月下旬ぐらいからみたい。この作りたい熱が冷めてしまわないだろうか。あと干物も作ってみたいな。

・なんでこんなにOasisが好きなんだろう。

05.13(水)

・バインミーという体のただの牛肉サンドイッチを作った。牛肉を炒めた油で、切ったフランスパンの表面をカリカリに焼き上げる。固いパンをカリカリにすると、幸福度が上がることに気付いた。ついでに、からあげクンを自作するレシピで作ってみると、見た目はフレンチトーストみたいになったが、からあげクンの味がしっかりとあった。タネに豆腐とマヨネーズ、衣にケチャップを入れるのが、からあげクンっぽさなのかも。

・ふと、幸せだと創作ができなくなるとか、質が下がるみたいな話について考える。確かに穏やかな気持ちだと何かを作る必要性が減ったりする。それは創作は自己治療的な側面を持っていると思っているため。ただ、幸福=創作力が下がると全て繋げられる話ではないと思う。作ることに敬意を持って、穏やかな中でも自身がそれらの一部である上で観察して発見することをやめなければ、いつだって作ることができるのでは。作ることへの敬意、観察はするが外ではなく自身もその中にいる体であること。

05.14(木)

・アラベス対バルセロナの試合を観る。優勝後のアウェイ戦。レギュラーを休ませて、普通に負けた。連勝記録が途切れてしまった。でも、そんなのすぐ忘れるんだよなぁと思う。

・「廃業しました」と手書きの紙が貼ってある。

・何かの撮影で人だかり。学ランを着たヤンキー高校生が喧嘩するシーンのようだった。それを横目に通り過ぎて小道に入ると、そのシーンには出演していない俳優が、肩で風を切りながら歩いてきた。役に入っている。演技をする人は、どういうことを考えているのだろう。

05.15(金)

・変容というか、変身かもしれない。そうか、変身って楽しいのか。とても楽しいなと思う。

・読書席のある店でコーヒーを買って本を読む。向かいの建物の窓に反射した光がちょうど差し込んできて、その光の柔らかさの中で本を読むのは至福だった。車が通る音だけがまばらに聞こえる。短歌の本を読む。しばらくしてどこか近くのスナックから、加藤ミリヤ×清水翔太「Love Forever」の歌声がかなりの音量で聴こえてくる。懐かしすぎて同じ文字を何度も読み返す羽目になった。次は「おどるポンポコリン」。どんな選曲なんだ。タッタタラリラの部分で歌っているおじさんが声量を上げてきたら耐えられないなと思ってハラハラしていたら、いつの間にか静かになっていた。外部の環境と内言、本の言葉が混ざり合い、とても生きているなと思った。

05.16(土)

・変身には楽しさだけではなく、異なる自分に対してのぎこちなさは、しばらくあるものなんだろう。

・余裕のない人って、ほんとに兵器だなと思う。これを個人のせいにしない社会ってかなり難しいよなぁ。

05.17(日)

・値上げばかり。暮らしって容赦ないよなぁ。

・軽薄さの揺らぎこそが、まさに生きていることを表すのだろうと思う。